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自宅近くで幼い頃から利用させて貰っているふたつの施設職員の人が2名来てくれていました。しかし、ふたつの施設とも「定員が一杯で和也が支援学校を卒業しても通所する事が出来ない」と言われてしまいました。予想はしていましたが自宅から近い施設を利用する事が出来ないのです。
日本では、どんな障害者も地域で豊かに暮らしましょうという事を勧めています。それなのに家から通って自立するという当たり前の生活が出来ない。
どこも行き場の無い重度知的障害と自閉症を併せ持つ我が息子は卒業と同時に自宅待機?もしかしたら永遠に家で引きこもり生活をしなさいと言うのでしょうか?
徳島県では、重度知的障害の自閉症者が通える施設や作業場の少ない事を改めて認識しました。
⤵︎
進路相談
相談しても、不安が増しただけでした。悲しいです。
私の様な経験をしている人が少なからずおられると思います。
ブログに私の体験をしたことを記録に残します。
平成26年2月23日(日)
次回の「親の心・子の心みんなで癒そうパート4」は、3月22日(土)13:00〜16:00まで行なわれます。
場所は徳島県立障害者プラザ3階研修室です。
色んな立場の人々が参加して下さる事で、障害児(者)とともに生きる親や子ども達の理解が深まり、みんなが暮らしやすくなります。みなさんの参加をお待ちしています。(^o^)
いじめ体験支えてくれた言葉
投書に「いいね!」6万件
「悪口を言う人が、あなたの悪い所をみな持っていってくれるのよ」。幼い頃に母の友人がくれた言葉を励みに障害への偏見を乗り越えた主婦が、いじめられっ子へのエールを込め、朝日新聞の「声」欄に投稿した。その内容がフェイスブックやブログで大きな反響を呼んでいる。
投稿したのは、神奈川県大和市の織戸郁子さん(58)。生まれつき両手の指が1本ずつしかなく、子どもの頃「手なし」とからかわれた。大津市のいじめ事件に心を痛め、自分を支えてくれた言葉を伝えたいと、筆を執った。朝日新聞に23日付で掲載された投書を読み「涙した」という東京都調布市の永江一石さん(55)がフェイスブックで紹介すると、4日間で2千を超すコメントが寄せられた。
「ガキの頃、いじめしてた。この文章読んで決意した。次に会ったときは謝ろう」「学校の教科書に載せて欲しい」「私もイジメが続いた時、親から同じような事を言われたことがあります。つらい思い出だけど、だからこそ今の自分がある」
「いいね!」のボタンをクリックして共感を示した人は約6万人に達した。永江さんは「現代の日本に、こんないい話があるなんて。みんなに伝えなくてはと思った。でもあり得ないほどの反響だ」と驚く。
引っ込み思案だった織戸さんは「悪口を言う人が――」の言葉を支えに、中学では演劇部に入るほど活発になった。今は県の委嘱で障害福祉相談員を務める。「ひどいことを言われた」「就職で差別を受けた」。そんな悩みに「とにかく誰かに話をしなさい」と助言しているという。
投書は、いじめられている人に「負けないで!」と呼びかけて結んだ。「『立ち向かえ』と言う意味ではありません。無理をしないで、やれることをやればいい」(村山恵二)
声」欄に掲載された織戸さんの投稿
私の兄は両手足の指が1本もない。
私も1本しか指がない、障害者手帳1級と2級の兄妹です。
私たちが幼い頃は障害者が外へ出るにも偏見があり、
出会う子どもたちから心ない言葉でからかわれた。
ある時、隣家のおばさんが「悪口を言う人が、
あなたの悪い所をみな持っていってくれるのよ」とおっしゃった。
私たちは親の熱意と周囲の善意で普通小学校に入った。
いじめられるたび、私は泣きながら「ありがとう」と言った。
おばさんの言葉が支えだった。
気味悪がられたのか、いつかいじめはなくなった。
成人して、ジロジロ見る人に友人が腹を立てると、
私は「美人だから見ているのよ」と笑う。兄はパソコンで仕事をし、
大学非常勤講師。私は「楽しい人だ」と周囲に言われながら、
福祉相談員として忙しい日々を送っています。
人の痛みがわかるのはその人の使命。
今いじめられているあなた、どうか誰かに話して下さい。
一人ひとりは強くありませんが、味方はたくさんいます。負けないで!
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他人の悪口を言う人はストレスがある人ですね。
心に不満があってそれを解消するために他人の悪口を言うのです。なんだか、
可哀想な人ですね。そして、その人はそのストレスに気づいていないのです。
誰にだってストレスや不満はあります。
そしてそれを(誰にも迷惑を掛けずに)解消する手段を持っていますが、
他人の悪口を言う人の心理として自分の精神状態を分析できず、
そして無意識に他人の悪口を口にするなどして
誹謗中傷することでストレスを発散させているのです。
他人の悪口を言う人は、言われている人(ターゲット)よ
り自分が劣っていることを自ら宣言している人です。
それも無意識のうちにです。もし自分に自信があれば他人の悪口を言うことはありません。
自分で認識している自信で自らの自尊心を維持できていますからね。
しかし、自分に自信がないような人は自らの自尊心を維持するために、
ターゲットに対して悪口を言うことで相対的に相手の位置を沈下させようとしています。
他人の悪口を言う人は、自分にとって(認知した)嫌なこと(不協和)があると、
それをなんとか解消するために行う本能があり、それが他人の悪口を言う行為に変化しています。
実際にこのように説明されると、多くの人は心当たりがあると思います。
でも仕方ないですよ。本能ですからね。(でも多くの人は理性によってそれを抑制しています。)
これを心理学で言うと認知的不協和理論と言います。
では他人の悪口を言う人にはどのように対処すれば良いのでしょうか?
それには、上記で説明した彼の心に発生した「認知的不協和」を解消するしかありません。
それには彼に自信を持つようにヨイショするのです。本人の良いところだけを
(いやみにならないように)褒めてあげるのです。
そうすれば、認知的不協和は解消されて他人の悪口は言わなくなるでしょう。
もし、受験に合格して入学するような高校や大学、会社などだったら
あなたと同じような能力(あるいは同じ属性)の人が集まっているでしょうから、
認知的不協和理論とは何かを本人に正しく説明すればちゃんと納得してもらえるはずです。
理解できる能力があるはずです。単に認知的不協和と言う本能の存在を知らなかっただけなのです。
ちゃんと説明すれば、自分で自分のことが恥ずかしくなって、二度と他人の悪口は言わなくなるはずです。
そして、次はあなたが彼の足りない部分を何とか解消できるように、最大限の手助けをしてあげてください。
冗談として
言っている本人には悪気はなくても、軽い気持ちで言った言葉が、聞く人にとっては嫌味に聞こえ、誤解されるということがあります。相手がその冗談を理解できるかどうかわかりませんので、冗談で言う悪口だとしても、相手のことを考えてから言うようにしましょう。
性格の違いから
世の中には、どう努力しても分かり合えない人や、性格が違いすぎるために短所ばかりが目についてしまう人がいます。そうなると、どうしてもその人の悪口を言いたくなってしまいますが、たとえばその人と一緒に働いているとしたら、性格が合わないからといって排除することはできませんし、むしろそういう人と交わり、協力し合うほうが、仕事をするうえでも有益です。性格が違うということは、自分に持っていないものを持っている可能性も高いのです。
主義の違いから
主義の違いによって悪口が生まれることもあります。これは性格の違いとはまた別のものです。性格が違っていても主義が同じなら調和することも可能ですが、性格が似ていても主義が違っていると、敵同士のように憎み合う状況が生まれます。これは、政治や宗教の世界で多々目にすることです。
社会をよくするために
たとえば宗教家や教育者など、立場によっては社会をよくするためという考えから他人の短所を暴く人がいます。しかし、実際には純粋に社会のためを思ってではなく、いたずらに人の秘密を暴いたり、ささいなことを大きく言ったりしているのを目にすることもあります。
負け犬の遠吠えとして
人が他人の悪口を言うことには動物的な理由があるような気がすると述べています。相手が自分より上にいて、自分の名誉を傷つける心配がある場合、相手を自分から遠ざけようとする心理が働くというのです。これは、弱い犬が強そうな犬を見ると、吠えたり唸ったりするのと同じ心理だといいます。
他と比較するゆえに
自分と他人を比較することで生まれる悪口もあります。たとえば、「Aって奴は○○だな」という悪口は、往々にして自分との比較から出てくるものです。こういった悪口を言う人は自己弁護の気持ちが強かったり、自分を完全なものと見なして他人をはかっていることが多いため、第三者から見ると滑稽に映ってしまいます。
利益を得るために
悪口の中で最も卑しいのは、それによって自分が利益を得るための悪口です。一部の新聞や雑誌などが、部数獲得のために他人の悪口まがいの噂話を掲載するのもこれにあたります。
人を倒すための悪口
人が倒れるのを見て喜ぶための悪口も、金銭的な利益を得るための悪口と同様、性質の悪いものです。評判のいい人や社会的に認められている人たちに対してケチをつけたがる傾向は、多かれ少なかれどんな人にも備わっているものです。
自分が取って変わるために
ただ、人を倒すだけではなく、その位置に自分が取って代わる悪口もありますが、これも金銭を得るための悪口と大差がありません。こういった悪口も、私たちの社会でよく囁かれています。政治の世界では特に顕著ですね
最後に、
人を苦しめたり、傷付ける人、その人自身も苦しんでいると思います。それを行った人を否定したり、排除してしまうのではなくて、これからの社会が、どう対処すべきかを考える必要が有ります。
『僕を支えた 母の言葉』
『僕を支えた 母の言葉』
僕が3歳のとき、父が亡くなり
その後は母が女手ひとつで僕を育ててくれた
仕事から帰ってきた母は
疲れた顔も見せずに
晩ごはんをつくり
晩ごはんを食べた後は内職をした
毎晩、遅くまでやっていた
母が頑張ってくれていることはよくわかっていた
だけど僕には不満もいっぱいあった
学校から帰ってきても
家には誰もいない
夜は夜で
母は遅くまで内職
そんなに働いているのに
わが家は裕福じゃなかった
遊園地にも連れて行ってもらえない
ゲームセンターで遊ぶだけの小遣いももらえない
テレビが壊れた時も半年間買ってもらえなかった
僕はいつしか
母にきつく当たるようになった
「おい」とか
「うるせー」とか
なまいきな言葉を吐いた
「ばばあ」と呼んだこともあった
それでも母は こんな僕のために頑張って働いてくれた
そして 僕にはいつもやさしかった
小学校6年のとき
はじめて運動会に来てくれた
運動神経の鈍い僕はかけっこでビリだった
悔しかった
家に帰って母はこう言った
「かけっこの順番なんて気にしない
お前は素晴らしいんだから」
だけど僕の悔しさは
ちっともおさまらなかった
僕は学校の勉強も苦手だった
成績も最悪
自分でも劣等感を感じていた
だけど母は
テストの点や通知表を見るたびに、やっぱりこう言った
「大丈夫、お前は素晴らしいんだから」
僕には何の説得力も感じられなかった
母に食ってかかったこともあった
「何が素晴らしいんだよ!?どうせ俺はダメな人間だよ」
それでも母は
自信満々の笑顔で言った
「いつかわかる時が来るよ、お前は素晴らしいんだから」
僕は中学2年生になったころから
仲間たちとタバコを吸うようになった
万引きもした
他の学校の生徒とケンカもした
母は何度も学校や警察に呼び出された
いつも頭を下げて
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と、あやまっていた
ある日のこと
僕は校内でちょっとした事件を起こした
母は仕事を抜けだし
いつものようにあやまった
教頭先生が言った
「お子さんがこんなに“悪い子”になったのは
ご家庭にも原因があるのではないでしょうか」
その瞬間 母の表情が変わった
母は 明らかに怒った眼で教頭先生をにらみつけ
きっぱりと言った
「この子は悪い子ではありません」
その迫力に驚いた教頭先生は言葉を失った
母は続けた
「この子のやったことは間違ってます
親の私にも責任があります。
ですがこの子は悪い子ではありません」
僕は思いっきりビンタをくらったような
そんな衝撃を受けた
僕はわいてくる涙を抑えるのに必死だった
母はこんな僕のことを
本当に素晴らしい人間だと思ってくれてるんだ…
あとで隠れてひとりで泣いた
翌日から僕はタバコをやめた
万引きもやめた
仲間たちからも抜けた
その後
中学校を卒業した僕は高校に入ったが
肌が合わなくて中退した
そして仕事に就いた
その時も母はこう言ってくれた
「大丈夫、お前は素晴らし、いんだから」
僕は心に誓った
「ここからは僕が頑張ってお母さんに楽をしてもらうぞ」
だけどなかなか仕事を覚えられなくてよく怒鳴られた
「何度おなじこと言わせるんだ!」
「すこしは頭を働かせろ!」
「お前は本当にダメなやつだな!」
怒鳴られるたびに落ち込んだけど
そんなとき 僕の心には
母の声が聞こえてきた
「大丈夫、お前は素晴らしいんだから」
この言葉を何度も噛み締めた
そうすると元気がわいてきた
勇気もわいてきた
「いつかきっと 僕自信の素晴らしいさを証明して
お母さんに見せたい」
そう考えると
僕はどこまでも頑張れた
仕事を始めて
半年くらいた経ったときのことだった
仕事を終えて帰ろうとしたら社長がとんできて言った
「お母さんが事故にあわれたそうだ
すぐに病院に行きなさい」
病院に着いたとき
母の顔には白い布がかかっていた
僕はわけがわからなくて
何度も「おかあさん!」と叫びながら
ただただ泣き続けた
僕のために身を粉にして働いてくれた母
縫いものの内職をしているときの母の丸くなった背中を思いだした
母は何を楽しみにして頑張ってくれたんだろう?
これから親孝行出来ると思ったのに
これから楽させてあげれると思ったのに
葬式のあとで親戚から聞いた
母が
実の母でなかったことを
実母は僕を産んだときに亡くなっらしい
母はそのことをいつか僕に言うつもりだったんだろう
もしそうだったら僕はこう伝えたかった
「血はつながってなくてもお母さんは僕のお母さんだよ」
あれから月日が流れ、僕は35歳になった
今、あらためて
母にメッセージを送りたい
『お母さんへ』
お母さん
僕とは血がてながっていなかったんだね
そんな僕のためにお母さんは
昼も夜も働いてくれたんだね
そしてお母さんはいつも言ってくれた
『お前は素晴らしいんだから』って
その言葉がどんなに僕を救ってくれたか
どんなに僕を支えてくれたか
あれから僕なりに成長し
今は結婚して子供もいるよ
まだまだ未熟な僕だけど
僕なりに成長してきたと思う
その成長してきた姿を
お母さんに見せたかったよ
『おまえは素晴らしい』って言ってくれたお母さん
その言葉は間違っていなかったって証拠を見せたかった
そしてそれを見せれないことが残念だった
だけど
最近気づいたんだ
お母さんは最初から
僕の素晴らしさを見てくれていたんだよね
証拠なんてなくても
心の目でちゃんと見てくれてたんだよね
だってお母さんが
『おまえは素晴らしいんだから』って言うときは
まったくの迷いがなかったから
お母さんの顔は確信に満ちていたから
僕も今
社員たちと接していて
ついついその社員の悪いところばかりに
目が行ってしまうことがある
ついつい怒鳴ってしまうこともある
だけどお母さんの言葉を思い出して
心の目でその社員の素晴らしさを見直すようにしているんだ
そして心を込めて言うようにしている
『きみは素晴らしい』って
おかげで社員達ともいい関係が築け、楽しく仕事をしているよ
これもお母さんのおかげです
お母さん
血はつながっていなくても
僕の本当のお母さん
ありがとう
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ベストセラー
『鏡の法則』の著者
野口喜則さんが作られた
ムービーより
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8月20日から21日まで、
関東甲信越地区 平成23年度第30回全国特別支援学校知的障がい教育校PTA連合会全国大会に参加してきました。
今大会では、東日本大震災の事も含めて私達、保護者に何ができるか?
その答えとなる素晴らしい大会となりました。参加した私たちは、これからも思いをひとつに頑張ろうと思います。
全国の会長さんたちとの懇親会にも参加しました。阿波おどりを踊っているのは、真也ママです。(^^)
この後、
中四国ナイトでは、九州の会長さんたちも、懇親会に参加してくれました。(=´∀`)人(´∀`=)
最終日は、これからも気を引きしめなければならない大震災にそなえての貴重なお話しも聞けました。思いも新たに防災について学ぶことができました。
そして、
今日は、第61回全国高等学校PTA連合会大会北海道大会に参加します。
今、徳島県の阿波おどり空港にいます。
野口嘉則さんのメルマガです。
僕たちは、人生においてさまざまな悲しみを体験しますね。
大切な人と別れたり、
大切なものを失ったり、
これまでできていたことができなくなったり、
これまで果たしていた役割りを失ったり、
これまで目標や生きがいにしてきたことをあきらめたり・・・
こうした喪失体験は本当に辛いものですし、
それによって僕たちは、深い悲しみを味わいます。
こうした悲しみを癒し、喪失の傷から回復していく過程を、
「悲嘆のプロセス(グリーフのプロセス)」 と言います。
人は、このプロセスを経て悲しみを癒し、
新しい人生を歩み始める力を得ていくのですが、
過去に、このプロセスをきちんと経なかったために、
悲しみが癒されないまま、心の底に残ってしまい、
今も僕たちの感情や行動に影響を与え続けているケース
は珍しくありません。
多くの人がよくやってしまうのは、悲しみの抑圧です。
悲しいという感情を感じまいとして、
それを無意識下に抑圧してしまうのです。
抑圧された悲しみは、癒されないまま残り、
ときに、その人の生きる力を低下させることさえあります。
悲しみを抑圧しないためには、
あるいは、抑圧された悲しみを癒すためには、
まず、悲しみや落ち込み等の感情を
十分に吐き出すことが必要です。
そして、そのためには、
誰かに聞いてもらうことが有効です。
そして、話を聞いてもらっていて泣きたくなったら、
存分に泣くことをお奨めします。
泣くことは、悲しみの解放につながるからです。
(話を聞く側は、励ましたり元気づけたりするのではなく、
話す人の悲しみに寄り添うように、受容的・共感的に
聞いてあげることがポイントです)
ただし、あまりに悲しみが大きすぎて、
その悲しみに「耐えきれない」と感じるときや、
「今はまだ話したくない」 と感じるときは、
無理をしてまで悲しみと向き合わないことです。
「悲しみと向き合う準備が整った」と感じるときが、
きっとやってきますので、
そのときにあらためて向き合って下さい。
さて、では 「悲嘆のプロセス(グリーフのプロセス)」 とは、
どのようなものでしょうか。
どのようなプロセスを経ることで、
僕たちは、喪失体験の傷から回復していくのでしょうか。
「悲嘆のプロセス」としては、
アルフォンス・デーケン氏の 「12段階の悲嘆のプロセス」 が
有名ですが、
ここでは、よりシンプル化されたものを紹介します。
水澤都加佐 氏の「悲嘆のプロセス(4段階)」です。
(1)ショック
激しい衝撃の後、自分を守るために現実感がマヒする
↓
「きっと何かの間違いだ」 と否認する
↓
マヒから醒め、パニック(泣き叫ぶ、眠れない、等)に陥る
(2)怒り
「なぜ自分がこんな仕打ちを受けるのか」 と怒りを覚える
↓
周囲の人や、特定の個人に対して、敵意という形で
やり場のない感情をぶつける
(3)落ち込み
「あの時、こうしていれば・・・」 と後悔し、自分を責める
↓
幻想にひたったり、孤独の中で悲しみにくれる
↓
すべてが虚しくなり、気力を失う
(4)受容
あきらめとともに現実を見つめる
↓
少しずつ希望が戻ってくる
↓
悲しみが消えるわけではないが、自分が扱える大きさに
までなり、新たな人生を歩み始める
(『グリーフ・ワーク』 水澤都加佐 著、アスク選書2 より)
以上が「悲嘆のプロセス」です。
悲しみを癒すということについて、より詳しく知りたい方や、
また、大切な人を亡くしてしまって、
大きな悲しみに直面している方には、
次の本をオススメします。
『愛する人を亡くした人へ ~悲しみを癒す15通の手紙~』
(一条真也 著、現代書林)
http://amazon.co.jp/o/ASIN/4774510629/noguchicoachi-22/ref=nosim
著者の一条さんが、
「別れ」「いのち」「受容」「癒し」「愛」「再生のシンボル」など、
15のテーマについて、手紙の形で語りかけてくる内容です。
一条さんのハートフルなメッセージが心に響きます。
この本の中で紹介されている、ルドルフ・シュタイナーの話も、
大変興味深いものです。
シュタイナーは、人智学の創始者であり、
シュタイナー教育の提唱者でもありますが、
彼は、講演や著書で「死者はあの世で生きている」と主張し、
死者に働きかける方法(=死者を供養する方法)まで語って
いるのです。
また、この本の中には、
アルフォンス・デーケン氏の「12段階の悲嘆のプロセス」の他、
平山正実氏の「悲しみを癒すための 10か条」や、
E・A・グロルマンの「死別の悲しみを癒すための10の指針」も
紹介してあります。
以上、オススメ本をご紹介したところで、
悲しみと向き合うということについて、
さらにお伝えしたいことがあります。
以前、山折哲雄さんがご講演の中で、
次のようなお話を紹介されていました。
今から二十数年前のこと、ある全国紙の投稿欄に、
一人の若い母親からの投稿が掲載されました。
「子どもを寝かしつけようとして子守唄を聞かせたら、
子どもは眠るどころか、逆に、むずかり始めました。
さらに子守唄を聞かせたところ、布団にもぐりこんで
拒否反応を示しました」
という、困惑を訴える投稿でした。
そしてその翌日から、その新聞社に、
同じ悩みを訴える母親の投稿が、
全国から殺到したそうです。
これには新聞社も驚いて、
この現象の原因を探ったのですが、
すぐには原因は見つかりませんでした。
そして翌年になって、
一人の作家がその原因を究明し、
次のような論文を発表しました。
山折先生のお話からすると、その論文は、
おおよそ次のような内容だったようです。
--------------------------------------------
生まれた子どもたちは、どんな音環境で育つのか。
それを調べてみると、今の子どもたちはテレビの音を
長い時間、聞いて育つことがわかった。
そして、そのテレビから聞こえてくる音楽といえば、
朝から晩まで流れているCMの音楽(CMサウンド)。
このCMの音楽は、明るい曲、陽音階の曲ばかりで、
短音階(マイナー)、短調、陰音階の曲がほとんどない。
つまり、“悲哀のメロディー”がほどんどない。
だから今の子どもたちは、
悲哀のメロディーに触れる機会が少なく、その結果、
それに対する拒否反応を示すようになる。
--------------------------------------------
当時(今から二十数年前)、この論文を読んだ山折先生は、
「これは恐るべきことではないか」 と直感したそうです。
さらに山折先生が調べてみると、
幼児教育や低学年教育の音楽教材から、
「五木の子守唄」「竹田の子守唄」「島原の子守唄」など、
悲哀感あふれる歌詞とメロディーを特徴とする “日本の
子守唄” が姿を消していたそうです。
(子守唄で残っていたのは、ヨーロッパの裕福な家庭を
舞台にした 「ブラームスの子守唄」 と 「シューベルトの
子守唄」 だけだった)
山折先生は危惧したそうです。
「悲哀のメロディーを聞かずに育つ子どもは、
悲哀のメロディーに拒否反応を示す子どもは、
他人の悲しみに共感したり、他人の痛みを理解したり
できるようになるのだろうか?
どんな若者になるのだろうか?」
そして、それから十年くらい経ったころから、
若者たちの共感性の欠如を示す犯罪や事件が
頻発するようになりました。
若者たちによる “おやじ狩り” や “ホームレス狩り” が
社会現象になりました。
13人の死者と6300人の負傷者を出した地下鉄サリン事件も、
逮捕された関係者(=オウム信者)の多くが若かった。
神戸連続児童殺傷事件は中学生による、
光市母子殺害事件は 18歳の少年による、
秋葉原無差別殺傷事件は 25歳の若者による犯行でした。
さて、話はちょっと飛躍しますが、
「日本の国土以上の面積を持つ 一つの国で、
200年以上も戦争がなかった」という例は、
人類の歴史の中で、
日本の平安時代と江戸時代の二例しか存在しません。
ヨーロッパにも、アジアにも、アメリカ大陸にも、
200年以上平和が続いた地域は存在しないのです。
まさに日本は、「和の国」であったわけですが、
これはもちろん、日本人の “和の精神” によるものだと
思います。
そして、その “和の精神” の根底には、
「もののあはれ」や「わび、さび」「無常観」を大切にする
“陰の精神文化”があります。
日本人は、しみじみとした哀愁や情趣を愛し、
他人の悲しみや痛みに共感する感受性を育んだのです。
これを河合隼雄氏は、次のように表現しておられます。
「キリスト教精神の根底には、“原罪”という概念があるが、
日本の伝統的精神には、“原悲”ともいうべき感覚がある」
この、他人の悲しみや痛みに対する共感性の高さゆえに、
日本人は元来、戦いを好まず、平和な国を作ってきたと
いえるでしょう。
そしてその精神は、
民謡や子守唄などにも歌い継がれてきたわけです。
あと、武田鉄也さんの『贈る言葉』という歌の中にも、
次のような言葉がありますね。
「人は 悲しみが多いほど 人には優しくできるのだから」
これは真理だと思います。
さて、ここで日本の“陰の文化”に対比させるために、
“陽の文化”といえるアメリカに焦点を当ててみましょう。
世界中どこの国でも、
「アメリカ人のイメージは?」って聞くと、
「陽気で、明るくて、ポジティブ」 という答えが返ってきます。
アメリカ社会には、
「ポジティブなのがいい、ネガティブはダメ」
という、善悪二元論的な風潮があります。
「ポジティブにハッピーエンドで終わってスッキリ」
というのが、
ハリウッド映画によく見られるパターンですね。
悲しい結末で終わるはずの「フランダースの犬」でさえも、
アメリカのハリウッド版はハッピーエンドで終わります。
(ネロもパトラッシュも死なずに救われます)
異常なまでにネガティブを避けていますね(^^;
ネガティブものを悪いものとして抑圧し、
ひたすらポジティブであろうとする社会。
つまりアメリカは、ネガティブ抑圧型の社会であり、
これは、無意識への抑圧の結果として“シャドー”が肥大化
する社会でもあります。
表面的にはポジティブな国民性ですが、
2000万人(成人の10人に1人)がうつ病で苦しみ、
アメリカ国内で処方される薬で最も多いのも抗うつ薬です。
また、陽気で明るい国民性の反面、
犯罪大国でもあります。
(さらに詳しく知りたい方は、
『ポジティブ病の国、アメリカ』(バーバラ・エーレンライク著)
を読んで下さい)
僕は別に、
アメリカの悪口を言いたいわけではありません(^^;
実際、素晴らしいアメリカ人を何人も知っています。
ただ、アメリカ文化に見られるように、
「ポジティブこそが素晴らしく、ネガティブは良くない」
という善悪二元論的な発想になってしまうと、
自分の中のネガティブな感情(悲しみ、寂しさ、不安、など)を
抑圧するようになってしまいます。
(それらは無意識に蓄積し、シャドーのエネルギーとなって、
僕たちを振り回すようになります)
そして、感情を抑圧した結果、
感受性が鈍り、他人に対する共感性も乏しくなってしまうの
です。
ですから、アメリカ的な陽気さやポジティブさも取り入れ、
日本古来の陰の精神文化と融合し、
「陰と陽を統合する生き方」をしていきたいものです。
この、「陰と陽を統合すること」を、
ユング博士は “自己実現” と呼びました。
ユング博士によると、
“完全性”という言葉には2種類の意味があります。
1つは、マイナスを排除した、プラスのみからなる完全性。
もう1つは、マイナスも含んだ完全性。
そして、本当の完全性とは後者の方。
つまり、マイナスも含んだ完全性こそ真の完全性であると、
ユング博士は言っています。
プラスもマイナスも、善も悪も、陰も陽も、・・・
それら両極を含んで統合したものこそ、真の完全性であり、
それをユングは“全体性”とも呼びました。
今まで自分の中で、
「好ましくない感情」「悪い感情」として抑えてきた感情に
目を向け、
それらを自分の一部として受け入れ、
その居場所を見つけてやること。
これによって、内なる統合が起き、
人間として成熟していくのです。
以上、
今回は 「悲しみと向き合う」「悲しみを癒す」 というテーマで
お話ししました。
この度の震災で、喪失の悲しみに直面しておられる方が
たくさんいらっしゃることを思い、
このお話がなんらかのお役にたてばと考えたからです。
しかし、実際に大切なご家族や知人を亡くされた方たちや
ご家族やご親族の安否がいまだにわからないという方たち
のことを思うと、
その悲しみやご心痛は、いかばかりかと思います。
そのような大きな悲しみやご心痛に直面している方たちに
対しては、
このような情報はわずかの慰めにもならないのかもしれま
せん。
もしも、今回のお話しで不快な思いをされた方がおられたら、
心よりお詫びいたします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。