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東京の新宿三井ビルで
真也の作品展が開催されます。
新宿三井ビルディング ギャラリー
[主催]:三井広報委員会 [協力]:三井不動産株式会社
WEBサイト:http://www.mitsuipr.com/
イベント詳細:
・三井広報委員会活動紹介
・「新宿三井ビルディング」堀川真也くん絵画展
http://shiya.iinaa.net/
・新宿三井ビルディングの歴史
←作品展示場所
1階 55SQUARE
新宿三井ビルディング55SQUARE
↓
http://www.shinjukumitsui55info.jp/shopdata/55square/index.html
私たち親子は25・26の二日間お邪魔しています。
近くの方は覗きに来てね~♡ (^o^)丿
これは、野村てっちゃんの話です。
てっちゃんが「太らない方法がある」と言うのです。どういう方法かと言うと、
細胞(だったと思います)にいっぱい食べても○○キロ以上になってはいけません。
ならないでとお話しすると太らないそうです。
食べても太らないそう。本当かなあ。 これは知りたいです。実験してみたいな。
4600人のみなさんが、メルマガを読ん でくださっているから、
よかったら、今から食べるけど、
あなたたちは、○○キロに なってねとお話ししてみて、
みなさんに結果をひと月後に教えていただけたらうれし いです。
今、だんだん、不思議なことも科学でわかるようになってきているから、
いろんな ことがやっぱり本当だなあとわかる日がきますね。楽しみでわくわくします。
~~~~~~~~~~~~~~
プロジェクトのページ(こちらでメルマガ登録=プロジェクト参加できます)
http://www005.upp.so-net.ne.jp/kakko/miyapupuro/kokorokakehasi.html
携帯からは空メールを送れば登録できます。
a0001012961@mobile.mag2.com このメルマガは脳幹出血で倒れ、
これまでの医学の常識では再起不能と思われていた
宮ぷーの病院での毎日を、親友の山元加津子が綴った日記からその一部を配信してい ます。
紆余曲折があり、今は宮ぷーの願いは自分の経験を通して意思伝達装置のこと をみんなにお知らせすること。その願いの実現に近づくようにこのメルマガを広める ことにお力を貸して下さい。お友達に転送お願いします。 詳しいことは、こちらのページをお読みください。 http://ohanashi-daisuki.com/info/story.html
(関連ページ) 宮ぷー レッツチャットで、今日もおはなし
http://ameblo.jp/miyapu-ohanashi/
おはなしだいすき
http://ohanashi-daisuki.com/index.html
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このメールに返信で感想を送れない場合は、
以下のアドレスにお送りください。 hoshinohitotsu@bcb.bai.ne.jp$
(注記:最後の$マークを消して送信下さい)
◎宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと のバックナンバー・
配信停止はこちら ⇒ http://archive.mag2.com/0001012961/index.html
今日は、朝の8:15分から子どもの通っている小学校で
読み聞かせをしました。 紙芝居と絵本を3年生の子ども達に読みました。 もうすぐ父の日なので、 「おとん」と言う題の面白い内容の絵本を読んだので子ども達が大喜びしてくれました。
凄く面白かったらしく、もう一回読んで~って頼まれましたが・・・
残り時間が2分しか無く一回だけで終わり後ろ髪を引かれる思いで教室を出ました。また、父の日に読んであげようと思います。(^o^)
その後10時から
手をつなぐ育成会の支援事業「家族支援プロゼクト」を
阿波市のH会長と真也ママとで、
石井町の育成会総会の後にさせて貰いました。
ファシリテーターとして、私の担当は、 自己紹介と
好きなドラマ・歌・映画・本の話しを二人一組で話合う事をします。
これらを話し合う事により自分の歩んできた道のりに光を
与える事になります。 会場は和やかな雰囲気になり、
H会長の総合司会で石井町の会員の方たちと
色んな 親の想いや感想を聞かせてもらいました。
毎回ですが、とても勉強になりました。
この会の後、H会長と真也ママそして、Kさんと
ランチ&母たちの熱いトークが始まり
私達は元気づけられ癒されるのです~(笑)
そして、今日のメインPM3:00から・・・
子どもの通っている学校で個人懇談です。
ここでも、和也(中学3)の担任の先生方と熱いトーク
「おはなし広報大使」の真也ママはモチロン
「おはなしノート」を使って 、
担任の先生と使い方について話し合いました。
事前に先生はおはなしノートをダウンロードしてくれて、
しかもラミネートして小さな手帳を作ってくれていました。
秋に修学旅行が有るので準備してくれていました。
感激です。^^ 若い男の先生ですが、
もう、ベテランの先生の様な感じで私も勉強になりました。
時間も2時間程話合いました。
おばさん真也ママはしゃべり過ぎ・・・
反省だなぁ~(笑)先生お疲れ様でした。^_^;
で、帰ろうと思ったら・・・ 校長室に入り込み
校長先生と熱いトーク
もう、真也ママ熱すぎですよ~~~~~!って
注意されそうな一日でした。
お疲れ様、真也ママ。(爆)(^O^)
「家族支援プロゼクト」に参加しました。
毎回、私はこの会で、自分の感じている事など
いっぱい発言させて貰っています。
話の終わりの方で、
一人のお母さんの困っている事を問題提起して
それを参加している人で解決策を話し合います。
色んな考えや答えが出てきます。
今日は施設の相談員がお二人参加で
お二人も困った問題を一緒に考えてくれます。
今日のお母さんは自分で出来るすべての手立てを試していました。
内容を聞いて勉強になりました。また、他の人のコメントもすごく参考になり
中身の濃い相談会となっていました。
非常にレベルの高い会だなぁ~と改めて感心しました。
もう、阿波市のみなさんは、聞き上手&話上手で
みんなカウンセラーの様です!
この会に参加すると癒されますよ~~~~~(^O^)
そして、会の終わりには、H会長やPEAKさんなどと
ランチタイム~~~
ここでは、前回同様とても熱いトーク炸裂!!
母たちの熱いトークに終わりは無いのです。\(◎o◎)/!
S様からのお誘いで、真也ママは久しぶりに
おはなし広報大使として活動できます。(*^_^*)
あおぞらさんのチラシです。
↓
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◆6月 学習交流会
6月の学習交流会はおはなし大使の真也ママさんをお招きして
おはなしだいすき あなたの想いが知りたいのです
の取り組みとおはなしノートについてお話していただきます。
昨年11月から実施している
あおぞらのできることから簡単に始めてみようシリーズ!!(勝手に命名)
今回も継続中です。
真也ママさんには2月に実施した
あおぞらのいっしょにあそぼうよ IN みなみちょう
にもお越しいただきおはなしノートについて紹介していただきました。
このときは短時間で質疑応答などの時間を十分取れませんでしたが
今回は時間もたっぷり、しかもあおぞら会員のためだけに
お話しいただけるので、どんな簡単な質問でも気軽にしていただけると思います。
おはなしノートの紹介ページにこんな一文が…
「話せなくても、気持ちを伝える方法はいろいろあります」
さぁ、できることから簡単に始めて、本当の想いに近づきましょう。
おはなしだいすきのHPはこちら↓
http://ohanashi-daisuki.com/index.html
●とき : 2011年6月21日(火) 10時から12時
●ところ : 徳島県立障害者交流プラザ 3階 研修室2
真也ママは、自分の日記が書けませんでした。
2011年3月11日
あれから2か月 経ったのですね。
いまだに一万人もの人々が行方不明のまま
身元確認も日増しに困難な状態だそうです。
ご家族の心情を考えますと非常に心が痛いです。
YouTubeの動画では、住み慣れた町が大津波に飲み込まれる
悲惨な映像を見ました「止めてくれ、止めてくれ・・・何が防波堤だ。何が防潮堤だ・・・
止めてくれ、止めてくれ・・・・」
現地の人の悲痛な叫び声や泣き声が映像と一緒に聞こえました。
私もその映像を見ながら一緒に泣きました。
こんな悲しい事が現実に起きたのですね。
※画像は貼り付けませんが、
アドレスはこちらです。↓
http://www.youtube.com/watch?v=N58tJucmVbU
この映像を見て初めて津波の怖さを理解できました。
犠牲者の方のご冥福をお祈りするとともに、今、生きている人々が、
希望を持って生活できるようになることを心から願っています。
徳島新聞の読者の手紙で、20歳の大学生の方が
3月11日に千葉で被災されました。彼は帰宅できず、
余震の恐怖で一睡もできない極度の緊張状態になっていたそうです。
そして、震災から数日後、徳島の帰郷した時、友人から
「よく頑張った。もう頑張らなくていいよ。」とメールをもらったそうです。
震災直後に「頑張れ」と言う言葉は必要だそうです。
頑張って緊張を保たないと生きている事にさえ懐疑的になるそうです。
ただ、人はずっと頑張れません。
被災地の方々は想像が出来ないほど頑張っておられます。
その方たちに掛ける言葉は「頑張らなくていいよ。」ではないでしょうか?
被災地の人々が頑張らなくても、
周りにいる人々が頑張って支えてあげることで、
彼らを救えるのではないでしょうか?
今日は、手をつなぐ育成会が手掛けている家族支援プロゼクトに参加しました。
会場では、このブログにコメントを下さっている
PEAKさんお会いする事ができました。
私の子ども達と同じ発達障がいのお子さんがおられます。
今、育てるのが大変な時期で毎日奮闘されています。
今日、お会いできてとても嬉しかったです。
初めての参加で緊張もされた事でしょうお疲れ様でした。
昼のランチでも熱いトークをしてしまい・・・
更にお疲れの事と思います。ゴメンね~
懲りずに来月も来て下さいね。
ランチの時のトークで、
東日本大地震で被災された方々の話が出て、
私たちも障がいを持つ子ども達を必死に頑張って育てた。
私たちの心のストレスはかなり深刻なんだもう頑張れない・・・
そう、私たちも頑張り過ぎてはイケない!
そして、
人はずっと頑張れない。障がい児(者)を育てている方々は
想像が出来ないほど頑張っておられます。
その方たちに掛ける言葉はタイトルに書いた様に、
「よく頑張った。もう頑張らなくていいよ。」と
周りにいる人々が頑張って支えてあげることで、
障がい児(者)の親も救えるのではないでしょうか?
野口嘉則さんのメルマガです。
僕たちは、人生においてさまざまな悲しみを体験しますね。
大切な人と別れたり、
大切なものを失ったり、
これまでできていたことができなくなったり、
これまで果たしていた役割りを失ったり、
これまで目標や生きがいにしてきたことをあきらめたり・・・
こうした喪失体験は本当に辛いものですし、
それによって僕たちは、深い悲しみを味わいます。
こうした悲しみを癒し、喪失の傷から回復していく過程を、
「悲嘆のプロセス(グリーフのプロセス)」 と言います。
人は、このプロセスを経て悲しみを癒し、
新しい人生を歩み始める力を得ていくのですが、
過去に、このプロセスをきちんと経なかったために、
悲しみが癒されないまま、心の底に残ってしまい、
今も僕たちの感情や行動に影響を与え続けているケース
は珍しくありません。
多くの人がよくやってしまうのは、悲しみの抑圧です。
悲しいという感情を感じまいとして、
それを無意識下に抑圧してしまうのです。
抑圧された悲しみは、癒されないまま残り、
ときに、その人の生きる力を低下させることさえあります。
悲しみを抑圧しないためには、
あるいは、抑圧された悲しみを癒すためには、
まず、悲しみや落ち込み等の感情を
十分に吐き出すことが必要です。
そして、そのためには、
誰かに聞いてもらうことが有効です。
そして、話を聞いてもらっていて泣きたくなったら、
存分に泣くことをお奨めします。
泣くことは、悲しみの解放につながるからです。
(話を聞く側は、励ましたり元気づけたりするのではなく、
話す人の悲しみに寄り添うように、受容的・共感的に
聞いてあげることがポイントです)
ただし、あまりに悲しみが大きすぎて、
その悲しみに「耐えきれない」と感じるときや、
「今はまだ話したくない」 と感じるときは、
無理をしてまで悲しみと向き合わないことです。
「悲しみと向き合う準備が整った」と感じるときが、
きっとやってきますので、
そのときにあらためて向き合って下さい。
さて、では 「悲嘆のプロセス(グリーフのプロセス)」 とは、
どのようなものでしょうか。
どのようなプロセスを経ることで、
僕たちは、喪失体験の傷から回復していくのでしょうか。
「悲嘆のプロセス」としては、
アルフォンス・デーケン氏の 「12段階の悲嘆のプロセス」 が
有名ですが、
ここでは、よりシンプル化されたものを紹介します。
水澤都加佐 氏の「悲嘆のプロセス(4段階)」です。
(1)ショック
激しい衝撃の後、自分を守るために現実感がマヒする
↓
「きっと何かの間違いだ」 と否認する
↓
マヒから醒め、パニック(泣き叫ぶ、眠れない、等)に陥る
(2)怒り
「なぜ自分がこんな仕打ちを受けるのか」 と怒りを覚える
↓
周囲の人や、特定の個人に対して、敵意という形で
やり場のない感情をぶつける
(3)落ち込み
「あの時、こうしていれば・・・」 と後悔し、自分を責める
↓
幻想にひたったり、孤独の中で悲しみにくれる
↓
すべてが虚しくなり、気力を失う
(4)受容
あきらめとともに現実を見つめる
↓
少しずつ希望が戻ってくる
↓
悲しみが消えるわけではないが、自分が扱える大きさに
までなり、新たな人生を歩み始める
(『グリーフ・ワーク』 水澤都加佐 著、アスク選書2 より)
以上が「悲嘆のプロセス」です。
悲しみを癒すということについて、より詳しく知りたい方や、
また、大切な人を亡くしてしまって、
大きな悲しみに直面している方には、
次の本をオススメします。
『愛する人を亡くした人へ ~悲しみを癒す15通の手紙~』
(一条真也 著、現代書林)
http://amazon.co.jp/o/ASIN/4774510629/noguchicoachi-22/ref=nosim
著者の一条さんが、
「別れ」「いのち」「受容」「癒し」「愛」「再生のシンボル」など、
15のテーマについて、手紙の形で語りかけてくる内容です。
一条さんのハートフルなメッセージが心に響きます。
この本の中で紹介されている、ルドルフ・シュタイナーの話も、
大変興味深いものです。
シュタイナーは、人智学の創始者であり、
シュタイナー教育の提唱者でもありますが、
彼は、講演や著書で「死者はあの世で生きている」と主張し、
死者に働きかける方法(=死者を供養する方法)まで語って
いるのです。
また、この本の中には、
アルフォンス・デーケン氏の「12段階の悲嘆のプロセス」の他、
平山正実氏の「悲しみを癒すための 10か条」や、
E・A・グロルマンの「死別の悲しみを癒すための10の指針」も
紹介してあります。
以上、オススメ本をご紹介したところで、
悲しみと向き合うということについて、
さらにお伝えしたいことがあります。
以前、山折哲雄さんがご講演の中で、
次のようなお話を紹介されていました。
今から二十数年前のこと、ある全国紙の投稿欄に、
一人の若い母親からの投稿が掲載されました。
「子どもを寝かしつけようとして子守唄を聞かせたら、
子どもは眠るどころか、逆に、むずかり始めました。
さらに子守唄を聞かせたところ、布団にもぐりこんで
拒否反応を示しました」
という、困惑を訴える投稿でした。
そしてその翌日から、その新聞社に、
同じ悩みを訴える母親の投稿が、
全国から殺到したそうです。
これには新聞社も驚いて、
この現象の原因を探ったのですが、
すぐには原因は見つかりませんでした。
そして翌年になって、
一人の作家がその原因を究明し、
次のような論文を発表しました。
山折先生のお話からすると、その論文は、
おおよそ次のような内容だったようです。
--------------------------------------------
生まれた子どもたちは、どんな音環境で育つのか。
それを調べてみると、今の子どもたちはテレビの音を
長い時間、聞いて育つことがわかった。
そして、そのテレビから聞こえてくる音楽といえば、
朝から晩まで流れているCMの音楽(CMサウンド)。
このCMの音楽は、明るい曲、陽音階の曲ばかりで、
短音階(マイナー)、短調、陰音階の曲がほとんどない。
つまり、“悲哀のメロディー”がほどんどない。
だから今の子どもたちは、
悲哀のメロディーに触れる機会が少なく、その結果、
それに対する拒否反応を示すようになる。
--------------------------------------------
当時(今から二十数年前)、この論文を読んだ山折先生は、
「これは恐るべきことではないか」 と直感したそうです。
さらに山折先生が調べてみると、
幼児教育や低学年教育の音楽教材から、
「五木の子守唄」「竹田の子守唄」「島原の子守唄」など、
悲哀感あふれる歌詞とメロディーを特徴とする “日本の
子守唄” が姿を消していたそうです。
(子守唄で残っていたのは、ヨーロッパの裕福な家庭を
舞台にした 「ブラームスの子守唄」 と 「シューベルトの
子守唄」 だけだった)
山折先生は危惧したそうです。
「悲哀のメロディーを聞かずに育つ子どもは、
悲哀のメロディーに拒否反応を示す子どもは、
他人の悲しみに共感したり、他人の痛みを理解したり
できるようになるのだろうか?
どんな若者になるのだろうか?」
そして、それから十年くらい経ったころから、
若者たちの共感性の欠如を示す犯罪や事件が
頻発するようになりました。
若者たちによる “おやじ狩り” や “ホームレス狩り” が
社会現象になりました。
13人の死者と6300人の負傷者を出した地下鉄サリン事件も、
逮捕された関係者(=オウム信者)の多くが若かった。
神戸連続児童殺傷事件は中学生による、
光市母子殺害事件は 18歳の少年による、
秋葉原無差別殺傷事件は 25歳の若者による犯行でした。
さて、話はちょっと飛躍しますが、
「日本の国土以上の面積を持つ 一つの国で、
200年以上も戦争がなかった」という例は、
人類の歴史の中で、
日本の平安時代と江戸時代の二例しか存在しません。
ヨーロッパにも、アジアにも、アメリカ大陸にも、
200年以上平和が続いた地域は存在しないのです。
まさに日本は、「和の国」であったわけですが、
これはもちろん、日本人の “和の精神” によるものだと
思います。
そして、その “和の精神” の根底には、
「もののあはれ」や「わび、さび」「無常観」を大切にする
“陰の精神文化”があります。
日本人は、しみじみとした哀愁や情趣を愛し、
他人の悲しみや痛みに共感する感受性を育んだのです。
これを河合隼雄氏は、次のように表現しておられます。
「キリスト教精神の根底には、“原罪”という概念があるが、
日本の伝統的精神には、“原悲”ともいうべき感覚がある」
この、他人の悲しみや痛みに対する共感性の高さゆえに、
日本人は元来、戦いを好まず、平和な国を作ってきたと
いえるでしょう。
そしてその精神は、
民謡や子守唄などにも歌い継がれてきたわけです。
あと、武田鉄也さんの『贈る言葉』という歌の中にも、
次のような言葉がありますね。
「人は 悲しみが多いほど 人には優しくできるのだから」
これは真理だと思います。
さて、ここで日本の“陰の文化”に対比させるために、
“陽の文化”といえるアメリカに焦点を当ててみましょう。
世界中どこの国でも、
「アメリカ人のイメージは?」って聞くと、
「陽気で、明るくて、ポジティブ」 という答えが返ってきます。
アメリカ社会には、
「ポジティブなのがいい、ネガティブはダメ」
という、善悪二元論的な風潮があります。
「ポジティブにハッピーエンドで終わってスッキリ」
というのが、
ハリウッド映画によく見られるパターンですね。
悲しい結末で終わるはずの「フランダースの犬」でさえも、
アメリカのハリウッド版はハッピーエンドで終わります。
(ネロもパトラッシュも死なずに救われます)
異常なまでにネガティブを避けていますね(^^;
ネガティブものを悪いものとして抑圧し、
ひたすらポジティブであろうとする社会。
つまりアメリカは、ネガティブ抑圧型の社会であり、
これは、無意識への抑圧の結果として“シャドー”が肥大化
する社会でもあります。
表面的にはポジティブな国民性ですが、
2000万人(成人の10人に1人)がうつ病で苦しみ、
アメリカ国内で処方される薬で最も多いのも抗うつ薬です。
また、陽気で明るい国民性の反面、
犯罪大国でもあります。
(さらに詳しく知りたい方は、
『ポジティブ病の国、アメリカ』(バーバラ・エーレンライク著)
を読んで下さい)
僕は別に、
アメリカの悪口を言いたいわけではありません(^^;
実際、素晴らしいアメリカ人を何人も知っています。
ただ、アメリカ文化に見られるように、
「ポジティブこそが素晴らしく、ネガティブは良くない」
という善悪二元論的な発想になってしまうと、
自分の中のネガティブな感情(悲しみ、寂しさ、不安、など)を
抑圧するようになってしまいます。
(それらは無意識に蓄積し、シャドーのエネルギーとなって、
僕たちを振り回すようになります)
そして、感情を抑圧した結果、
感受性が鈍り、他人に対する共感性も乏しくなってしまうの
です。
ですから、アメリカ的な陽気さやポジティブさも取り入れ、
日本古来の陰の精神文化と融合し、
「陰と陽を統合する生き方」をしていきたいものです。
この、「陰と陽を統合すること」を、
ユング博士は “自己実現” と呼びました。
ユング博士によると、
“完全性”という言葉には2種類の意味があります。
1つは、マイナスを排除した、プラスのみからなる完全性。
もう1つは、マイナスも含んだ完全性。
そして、本当の完全性とは後者の方。
つまり、マイナスも含んだ完全性こそ真の完全性であると、
ユング博士は言っています。
プラスもマイナスも、善も悪も、陰も陽も、・・・
それら両極を含んで統合したものこそ、真の完全性であり、
それをユングは“全体性”とも呼びました。
今まで自分の中で、
「好ましくない感情」「悪い感情」として抑えてきた感情に
目を向け、
それらを自分の一部として受け入れ、
その居場所を見つけてやること。
これによって、内なる統合が起き、
人間として成熟していくのです。
以上、
今回は 「悲しみと向き合う」「悲しみを癒す」 というテーマで
お話ししました。
この度の震災で、喪失の悲しみに直面しておられる方が
たくさんいらっしゃることを思い、
このお話がなんらかのお役にたてばと考えたからです。
しかし、実際に大切なご家族や知人を亡くされた方たちや
ご家族やご親族の安否がいまだにわからないという方たち
のことを思うと、
その悲しみやご心痛は、いかばかりかと思います。
そのような大きな悲しみやご心痛に直面している方たちに
対しては、
このような情報はわずかの慰めにもならないのかもしれま
せん。
もしも、今回のお話しで不快な思いをされた方がおられたら、
心よりお詫びいたします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
お友達の四国の愛媛県松前(まつさき)の升田さんという歯医者さんが今、医療ボ
ランティアで気仙沼に入っておられます。朝、お電話をいただきました。
どうぞ、みなさん、転送、転載をお願いいたします。
~~~~~~~~~~
こんにちは、山元加津子と申します。
お友達の愛媛の松前の升田歯科医師さんが、今、気仙沼に口腔ケアと入れ歯などを
作ったりするボランティアに入っておられます。現場では長期に渡って、支援がどう
しても必要だとのこと。全国の歯科医師さん、歯科衛生士さんに、ぜひ、一週間ずつ
とかでもボランティアに来ていただいて、つなげていきたいとのこと。お気持ちのあ
る方はkatsu.54.viola@ezweb.ne.jp(升田先生の携帯のアドレスです)にメールをお
願いします。
先生は昨日は、食べることが難しくなって、やせてしまわれたおばあちゃんに口から
食べることの指導をされ、今日は入れ歯を作るんだとおっしゃっておられました。
それから、停電が多いので、そのときに吸痰が必要な方に情報をお知らせしてほしい
とのことです。
・大きい使い捨ての注射器をカテーテルにつないで、注射器を引くことで痰が吸引で
きます。
・注射器がないときは、ペットボトルの底にカテーテルが入る穴をふたつあけて、ひ
とつは深く差し込み、ひとつは浅く差し込みます。介護者が、片方のカテーテルを加
えて息で吸い込むと、痰がとれます。たまった痰は、ペットボトルの口をあけて、捨
てることができます。
升田先生はお声も枯れていて、どんなに毎日一生懸命しておられるかということに
胸がいっぱいになりました。どうぞどうぞお願いします。一週間ずつとかで、つない
でいくことができますように。多くの方にお知らせいただければ、歯医者さんや歯科
衛生士さんにも情報が届くと思います。お願いいたします。
~~~~~~~~~~
宮ぷーも気管切開をしていて、カニューレから、痰をよくとります。自分の力で今
はかなり出すこともできるようになっていますが、それでも、ごろごろし出すと、取
ります。前に自分で出すことができなかったときに、もし停電で痰がとれないような
ことがあったら、どんなに大変なことになるだろうと思うと、いま、そのまっただ中
におられる方のことを思います。どうぞ、多くの方にお知らせいただけたらありがた
いです。それから、歯磨きができなくて、口の中が汚れてくると、その痰が肺へ流れ
込んで肺炎を起こす可能性がすごくあるということは、宮ぷーが倒れたころから、実
際に感じてきたし、そのことにずっと気を遣ってきました。
とにかく口の中をきれいに保って置きたいと思って、しょっちゅう口の中を歯ブラ
シで磨いたり歯磨きティッシュできれいにしたりしてきました。そして、口の中に刺
激を送ることがとっても脳にいいということもわかって、いっそうていねいにしてき
たように思います。口がなかなかあかなくて、自分で口を開けておこうと思えば思う
ほど、がちっとかんでしまって、手がかまれてしまって、宮ぷーはそのことで、自分
の思い通りにならない身体で、人を傷つけてしまって、涙をぼろぼろ流していたとい
うことが何度もありましたが、「いいの、だいじょうぶだよ」と口の中をきれいにし
続けていたように思います。それは、時間や私の気持ちに余裕があったり、歯ブラシ
もきれいな水も、十分あったし、吸引することもできたからできたのです。
今、歯ブラシがなかったり、きれいなお水がなかったりすれば、ベッドに横になっ
て過ごしている方にとっては、それは命にかかわることだと思います。なんとか、歯
医者さん、歯科衛生士さん、升田先生にメールをしていただけたらなあと、自分が何
もできていないのに、本当に申し訳ない気持ちですが、お願い致します。
仙台のしげちゃんのメールです。
・・・・・
しげです。原発のことを思うたび、玄奘三蔵の話を思い出します。三蔵法師様が天竺
へありがたいお経を取りに行く、旅の途中で、らい病の女の人に出会います。その人
は三蔵法師様に体中の膿を吸いとってほしいとお願いするのです。これから長い旅を
しなくてはいけない三蔵法師様なのに、その女の人の膿を口で吸いとってあげるので
す。当時は触れただけで伝染ると思われていた病気なのにです。するとその女の人
は、菩薩の姿にかわって、三蔵法師様にお経を下されました。それが「般若心経」
だったそうです。三蔵法師様はこの後の旅で死ぬようなめに何度もあうのですが、般
若心経をとなえると、そのたびに助かって、天竺からありがたいお経を持ち帰ること
ができたそうです。作った話なのだと思いますが、なにか大切なことを教えてくれる
話だと思いました。
原発の事故は、間違いなく神様が僕らにあたえた試練です。あしたのいい日のため
に、乗り越えなくてはいけない必ず必要なことに違いないと思うのです。危ないから
といって、日本を捨てて逃げ出したりしてはいけないのだと思います。これから原発
反対の機運は盛り上がって、原発を推進することは難しくなるでしょう。でも、原発
反対だけではなにか違っているような気がします。マザーテレサは、反戦運動に参加
してほしいとお願いされて、反戦運動には参加しません。平和運動なら参加しますと
おっしゃったとか。何かに反対するという姿勢は大きければ大きいほど反作用も大き
くなるのだそうです。かっこちゃんが言われているように、原発は感謝の気持ちで包
みこんであげなくてはいけないような気がします。東京電力のみなさんは、いま原発
の出す膿を一生懸命吸い取ってくださっているところですね。これを乗り越えたら
きっと、僕達をこのあと守ってくださるありがたい「般若心経」がくだされるような
気がしてなりません。
・・・・・
しげちゃんいつも大切なことを教えてくださってありがとうございます。お友達が
「このごろは、原発のことのニュースが少なくなっているよ、けれど、収束したわけ
ではぜんぜんないんだよ。多くの方が毎日、私たちの命を守るために、働いてくだ
さっているんだよ」と言っておられました。私たちが使っているお水、電気、みんな
みんなどなたかのお力で届いていることを、私は考えもしないで、電気を使っていま
した。お水をつかっていました。それから、お国が守られていることも、何も考えて
いないで、毎日平安にすごしていたと思います。
私は、政治的なことや、いろいろな問題のことで、何に反対とかそんなことを思った
りしているのじゃなくて、ただ、何も知らずに、感謝の思いを持っていないでいたこ
とに涙がこぼれます。
管総理が絆という言葉で、世界のみなさんにお礼の言葉を新聞に載せられたことを知
りました。ところが、そのことでも、何か少しかもしれないけど、管総理が批判を受
けたりもしているとのこともうかがって、びっくりしました。私は涼さんが地震のと
きに、絵をネットに掲載されたときに、傷ついたというお話をされて、みなさんが、
そのときにたくさんのメールをくだったことを思い出しました。日本のお国を一生懸
命今、守って、世界との絆にも感謝すること。それは総理であっても、どなたであっ
ても、お一人お一人の気持ちや行っておられることに、誠実に受け止めて向き合って
いられたらなあと思いました。マザーテレサさんが、反戦運動はしません。平和運動
ならしますとおっしゃったことが、すごく心に響きました。なにかことに対して誹る
ことは、つらいことですね。もちろん反対だと思うことに自分の思いをちゃんと表す
ことは大切。けれど、その思いを伝えておられる人にお人柄まで非難することはして
いけないことだし、私もそんなことをしないでいたいと思いました。
あかねちゃんもまた大切なことを教えてくださっています。
・・・・・
かっこちゃん、昨日から、大きな余震が、続いています。どんな時でも、「冷静」
で、あり、そして、「祈り」の中に、居なきゃね。地震のことは、専門家の方で無い
と分からない、本当に、「知らない」と言うのは、無知である。今まで、こんなに穏
やかで、のんびりした日本に、住んで、地震で、改めて、この国は、地震大国だと、
ふっと、目が覚めたような、そして、この日本には、原発が、沢山ある、外国の方か
ら見たら、本当にビックリされるだろう。地震の多い国に、沢山の原発が、作られた
こと。でも、あかねは、非難も批判も出来ない、今まで、こんなにも、電気を使い、
その電気の根源すら、ちゃんと、知らなかった。絶対に忘れちゃいけないんだ、阪神
淡路大震災のことも、ぜーんぶ、全ての事も、
日本人は、冷静である。と、外国の方は、言っておられる、そして、道路などの復興
も、とても早い、と、昨日のTVで、ちらっと見ました。だから、この日本は、素晴
らしい国なんだ。あかねは、「無知」であるが、この国が、大好き、産まれて来たの
が、1分1秒でも、違っていたら、このメルマガも、皆さんにも出逢う事も、無かっ
たかもしれない。この時代に生まれてきたのには、ちゃんと、意味があるのだろう。
原発の問題も、私達の時代では、解決できず、次の時代を、担う子供達に託さなくて
はいけないかもしれない、けれど、「日本は、素晴らしい国」と言う事は、ずっと、
伝えていかなきゃ、
だってね、生まれてくる事は、物凄く、壮大な物語の中から、人が、産まれる。その
いのちは、どれも、大切で、生まれると、また、壮大なストーリーが、始まる。そし
て、「いきる」こうして、いのちは、繋がっていくのだろう。本当に素晴らしい事だ
ね。今日は、夕方は、精神科の受診日です。みんな、どうしてるかな? 精神病が、
ある方の中には、とっても、この地震もそうだけど、全ての事を、受け止めるのが、
苦手な方も居られます。そして、こんな事を言っておられる方もいたよ、「自分は、
毎日、自死したい、って、考えているのに、何故?自分じゃなかったの?どうして、
津波や震災で、死ななきゃいけなかったの?」って、でも、「生きなきゃ」きっと、
神様は、「貴方は、あなたとして、生きて」と言っているんだよ。
今日も晴れています。でも、ちょっと、肌寒い、被災地が、晴れて、どうか、日の光
が、暖かくしてくださいますように。
宮ぷー、虹が、出たんだね、昨日は、愛知は、とっても空が、赤かったですよ。あ
かねも空を見ながら、「あー、夕日は、何を想っているのかなー?」とおはなしして
いました。。。。あかね
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宮ぷーが思いを伝えられるようになった最初、私に何度も「ゆめかげんじつか」
「ゆめさめてほしい」「なにがほんとうなの?」とすがるように聞きました。その日
のことを思い出しました。私はそばにいて、何度も「全部本当だよ。全部本当に起き
たこと。でも、がんばれば治るよ」と言い続けていたなあと思います。もし、私が倒
れたのであれば、宮ぷーかあるいはどなたかが、同じように言い続けてくださったの
ではないかと思います。そんなことを思っていたときにお友達のともみちゃんが、坂
田明さんの文章を教えてくださました。
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ジャズミュージシャン・坂田明さん
「生きていく役割 あなたにも!」
私たちは天変地異に対してはほとんど無力であり、大災害は非情にも、人知の予測
を上回った結果起こります。被災するという不条理は人類の誕生以来、地球上に断続
的に続いていることであります。地殻変動は地球誕生以来約46億年止まりません。
私も岩手県、宮城県の三陸沿岸の友人を捜しました。ある人は連絡がつかなくなり
ましたが、ある人たちは連絡がつきました。苦しみ、悲しみ、喜び、楽しめるのは
「生きている人だけ」であります。自然界は決して生きとし生けるものたちにいつも
やさしいわけではありません。しかし、天変地異が起こっても、太陽は出るし、津波
が全部持っていった荒涼とした町や村に、何事もなかったように星は輝き波は打ち寄
せてきます。不条理というほかありません。
苦しむ人は「苦しい」と叫び、巡り合えた人たちは「よかったよかった」と抱き
合って喜び、家族を失った人は嘆き悲しみ、捜している人は「早く見つけてあげた
い」と泣き、温かい芋煮を食べている人は泣きながら喜び、水道が出たといって喜
び、それをこちらは夕食時にテレビで見ては毎晩泣き、はては何もしてあげることが
ないといっては泣きと、いう人たちもいる有り様です。
しかし、この時を共に生きていることそれ自体が、被災した人も、そうでない人に
とっても、互いに大切な役割なのだと思います。もし、あなたが生きていなかったら
誰が被災した人の悲しみやつらさ、無念さを受け止めてあげられるのでしょうか?
被災しなかったことも役割なのです。生き残った人には、生き残ったことで次の世代
に命をつないでいく役割があります。起こったことを伝える役割もあります。無念に
も突如として命を奪われた人は「人間にはこれ以上の悲しみはないぞ」ということ
を、その人たちの尊い命で、生きているものへ重く伝えられました。 谷川俊太郎さ
んの書かれた詩に故武満徹さんが曲をつけた「死んだ男の残したものは」という歌が
あります。そのなかに「死んだかれらの残したものは、生きてるわたし、生きてるあ
なた、他には誰も残っていない」とあります。
生きているものが残らなければ、誰も残っていなくなる、ということではないで
しょうか。生きているものが明日に向かって生きなければ、亡くなった人たちは報わ
れようがなくなる気がします。そして誰が弔ってあげられるのでしょうか。
歌は続いて「死んだ歴史の残したものは、輝く今日と、また来る明日、他には何も
残っていない」と終わります。被災地に今日輝く太陽や星は、無常でも非情でもある
かもしれません。でも太陽が出なければ、星が輝かないと、希望はありません。そし
ていつものように明日が来るのです。明日が来なければ生きていけません。
成長して次の社会を支えていく子どもたちを誰が支えるでしょうか? 生き残った
大人が生き延びないと子どもたちは大人になれません。みんな生きていく上での役割
があります。あなたにも、あなたにも、あなたにも!
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私は、この何日か、自分は東北へ出かけていくこともしないでいるし、思うばかり
で、何もできていないなあとそのことに心が痛かったです。けれど、坂田さんの文章
を読んで、いま、私がもし東北の方へボランティア休暇をいただいて出かけたとした
ら、宮ぷーのリハビリを毎日続けていくことができなくなります。そしたら、きっと
また後悔をしてしまう。自分のできることを精一杯続けていこうと思いました。それ
は東北のみなさんのことを何もしないのというのではなくて、きっとできることをし
ている今の状態でそれでいいのかなと思ったのです。まだよくわかりません。考え続
けようと思います。
今日病院へ行くと、宮ぷーが長い言葉をいくつにも分けてレッツチャットにいれて
いました。「かっこちゃんこのまえはころすなんてひどいことをいってごめんなさ
い。あのときはまだ、じぶんのからだがうごかいこともりかいしていなかった。こん
なによくしてくれてるのに、ほんとうにごめんなさい。このことをおもいかえすとこ
ころがつらくなる。かなしませてごめんなさい」「じぶんのこともごかいしてた」
「かっこちゃんにひどいことをいったときゆめとげんじつわからなかった」そう言っ
て、泣きそうにするのです。
ずっとずっと前のこと、宮ぷーがまだ、「ゆめかげんじつかわからない」と言って
いたときに、一度だけ急に怖い顔になって「ころす」と言ったことがありました。そ
の頃は、ベッドが夜中にうきあがってくるくるまわったり、外に知らない人がいて、
窓からのぞいていたり、幻聴と幻覚のようなものに悩まされてもいました。それか
ら、誰のことも本物かどうか信じられなかったりしたこともありました。
「ころす」と言ったときには、私が記憶しているのと宮ぷーが記憶しているのでは少
し違います。そのころは、MRSAにずっと感染していました。なんとかそこから抜け出
したくて、人体には悪い影響がない、強抗菌の消臭スプレーを教えていただいて、そ
れを使っていました。宮ぷーにも何度も、これは、消臭スプレーとして使うのじゃな
くて、菌を消してくれるんだよと言って、わたしの口の中にもスプレーをして(そう
しても大丈夫なのです)風邪から守ってくれるのだって・・・。と言って、宮ぷーの
体の上にもシュシューと使っていました。けれど、説明が足りなかったのか、そのと
きは、私が宮ぷーの痰とかおしっこの匂いがすると思ってしたと思ったのか、それと
も、やっぱり幻聴とか幻覚とかがあったのか、「ころす」と言いました。
私は驚いて、そして泣きました。「ころす」と宮ぷーに言われたことを嫌だから泣い
たのではないのです。いつもいつも優しい宮ぷーが、そんな言葉を使うのはどうして
だろうと思ったのです。宮ぷーが本当につらくて、さびしくて、誰のことも信じられ
ないほど不安で、本当にどうしていいかわからない中にいるんだと感じて、宮ぷーの
ことがいっそう大切に思えて、いとおしくて泣いたのです。その言葉に宮ぷーは一年
以上たった今も苦しんでいたのだと今日知りました。「宮ぷー、そんなに苦しまない
で、自分を責めないで。私はその言葉を聞いて、宮ぷーのことをいっそう大切にした
いと思ったよ。理由はわかる?」宮ぷーはびっくりした顔をして、首を振りました。
それくらいつらい中にいるんだってわかったからだよ。もうだから、忘れてね。その
言葉で苦しまないでね。でも、あの日もきっと今を築く石垣のうちの一個の日だよ。
大切な一日だよ。宮ぷーは、また泣きました。「ありがとう、ああよかった」と言っ
て泣きました。私はそんなにまで思っていたことを知らなくて、また涙が出ました。
かつこ