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今日、三井広報委員会事務局担当の方からメールを頂きました。
なんと、真也の夢が叶います。
新宿三井ビルで真也の作品展をさせて頂ける事になりました!!
開催日 2011年3月23日~1週間の予定です。
新宿三井ビルの1階のギャラリーです。
新しく出来たこのギャラリーのオープンセレモニーの作品展となります!
以前、このブログにも書きましたが、
>真也のホームページにも載せていますが、
「僕の夢」新宿三井ビルで作品展をしてみたい。
と言う想いをメールで送らせてもらいました。
そして、数日後に
新宿三井ビルでの作品展を検討して下さるとの
内容のメールを頂いて大喜びしていました。
まさか、本当に実現するとは・・・
ビックリするやら嬉しいやらで、
我が家は大騒ぎです。
本当に嬉しいです。
夢が叶いました。
三井広報委員会のみなさま
ありがとうございます。
↓
http://www.mitsuipr.com/
新宿三井ビルディング
真也の大好きなビルです。
1月30~31日(月)
大分県のさくら親児会の後藤さんが徳島に来てくれました。
この人は、「さくら親児会デイサービスセンター」の施設長さんでもあり、大分支援学校のPTA会長もしています。
私は、全国特別支援学校知的障害教育校PTA連合会の全国大会や全知Pの総会などて、さくら親児会の後藤さんにお会いする機会が有りました。
PTAの会長をしながら施設運営をパワフルにされてるお話を伺いこの素晴らしい後藤さんの話を徳島の仲間にも伝えたくて是非来て欲しいとお願いしていました。
まず、初日は徳島の阿波おどり会館で
阿波踊りを楽しんで貰いました。
一般の人も参加できるので、
さくら親児会の後藤さんと
真也ママファミリーも参加して踊りました。
楽しかったですぅ~\(⌒▽⌒)/
そして、夜は我が校の新年会をしました。
さくら親児会の後藤さんや次の日に参加して下さる
パネラーの徳島のNPO法人わたぼうしの理事さんもお招きして和やかに、
そして熱くこれからの想いを語りあいました。
外は-2度で久しぶりの雪が降る寒い徳島でしたが、
この会場は真剣に生きる親達の思いで真夏の様に熱かったです。
次の日の1月31日(月)に我が校で、
PTA会長でもあるさくら親児会の後藤さんが、
「出来る人が、出来る時に、出来る事を楽しくやろう!!継続は力なり」と言う演題を座談会と言う形での研修会を開きました。
この研修会には、徳島の阿波市育成会の会長さん・徳島のNPO法人わたぼうしの理事さん・徳島県ことばを育む親の会の会長さんなどのゲストもお迎えし、保護者も参加しての座談会です。
そして、司会は真也ママが引き受ける事になりました。
この研修会では、まず、さくら親児会の後藤さんが施設作りのきっかけを話してくださり、施設運営についてのノウハウも教えてくれました。
とても参考になる素晴らしい話で、施設作りは親の熱い思いと、場所、そして支えてくれる仲間が集まれば、親の願う素晴らしい施設作りは実現可能なんだなと改めて実感しました。
また、参加して下さったパネラーの方々とも徳島の障がい児問題や福祉について熱く語りあいました。さくら親児会の後藤さんが来て下さった事によりみんなの意識が凄く高まりました。1時間30分は瞬く間に過ぎてしまいもっと話し合いたい時間よとまれ~~~でした。 ホンとに素晴らしい会となりました。
私達も今度、大分県の方にお邪魔する予定です。
徳島県と大分県が繋がりました。そしてこの繋がりは日本全国へと繋がって行く事でしょう。仲間って素晴らしいです。
帰りの車の中でも、さくら親児会の後藤さんと色々お話が出来ました。障がい児を持つ親同士、話は尽きないです。
そして、宮ぷーとかっこちゃんの話も出てきました。さくら親児会の後藤さんもかっこちゃんの事をブログに書いてくれてます。
さくら親児会 障がい児の親とサポータの集まり
↓
http://sakuraoyajikai.junglekouen.com/e348079.html
そして、今回の事もブログに書いてくれています。
↓
http://sakuraoyajikai.junglekouen.com/e362652.html
『おはなし広報大使』の出番です。\(⌒▽⌒)/
発達障害児(者)と親とサポーターの会あおぞら主催で、
「あおぞらの いっしょににあそぼうよ IN みなみちょう寒い冬だって遊びたい!!」と言うイベントが徳島で開催されます。
今回、このイベントに私も参加させてもらって、
おはなしノートの使い方について
会場に来られた方にご紹介させていただく事になりました。
※真也ママは10:30頃から「おはなしノート」について話ます。
おはなしだいすきホームページはこちら
↓
http://ohanashi-daisuki.com/
美波町で一日あそんじゃおう!!
一緒にあそび隊が待ってるよ♪
日時 2月13日(日)10:00~16:00
場所 日和佐総合体育館 (徳島県海部郡美波町奥河内字櫛ヶ谷263-1)
参加費 無料
私、僕、お母さん、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃん、お姉ちゃん お兄ちゃん、
おじさん、おばさん、みなさんの参加をお待ちしています。 (知らないお友達には教えてあげてね★)
遊びがいっぱい(お土産がもらえるよ♪チケットはチラシについています)
★おりがみ 達人にあえる♪
★読みきかせ ★カルタ
★魚釣りゲーム ★隠れているのは何?
★ボーリング ★ぬりえ
★ダーツ ★お絵かき
★もぐらたたき ★宝さがし(チケット必要)
★くじ(チケット必要)
♪音楽にのせて楽しいお話の世界へ♪♪♪
読み聞かせ:専門学校穴吹福祉医療カレッジ講師 荒木美代子さん
キーボード:YAMAHA 穴吹福祉医療カレッジ非常勤講師
山根久美子さん題 目:内田麟太郎の「あいつもともだち」 講座も
おしゃべり会も、発達障害疑似体験だってあります。
※保護者の方が講座やおしゃべり会に参加する間、
子育てサポーターが お子さまと一緒に遊びます。安心して参加してくださいね。
◆「発達障害とは?」あなたがいますぐできること 正しく知ろう発達障害
講師 吉見貴子 さん 10:50~11;50
◆おしゃべり会(午前と午後に各1回・開始後の入室はできません)
①10:15~11:30 ②14:15~15:30
◆発達障害疑似体験 講師 永冨大舗 さん
①10:20 ②13:20 ③14:20 1日だけのワンダーランド♪どうぞ一緒に楽しみましょう☆
この情報は、おはなし広報大使
武市りえさんに教えて頂きました。
りえさんも「おはなしノート」のイラストを描かれています。
りえさんのイラストはこちら
↓
http://rie-takeichi.com/
「こうちゃん学校をやすみたい 」
このおはなしは、
出来の良い兄と比較されて落ち込む主人公が、
次第に自分の価値に気付き立ち直っていきます。
セルフエスティームを形成する方法、
自分に自信を持つためのノウハウを
小学校低学年の児童にも分かるように、
具体的に紹介しています。
※この本は現在重版未定の本ですので、書店で購入することができません。
うもれてしまうのが残念なので紙芝居にしてみました。
「こうちゃんと お兄さんて、ぜんぜん にてないんだね。」
1時間目が はじまる まえ、 となりの せきの
くみちゃんが、そんなふうに いいました。
こうちゃんは、なんて へんじを していいのか、
わかりません。
「そうさ。たしかに お兄ちゃんは、できが いい。
ぼくみたいな だめな 子とは ぜんぜん ちがうよ。」
そんなふうに いえば いいのでしょうか。
けさ、こうちゃんの お兄ちゃんの かずやくんは、
全校じどうの まえで、校長先生から しょうじょうを
うけとりました。
市の 読書感想文の コンクールで ゆうしゅう賞を
とって、それが ちょうれいで しょうかいされたのでした。
お兄ちゃんは、本を 読むのが 大すきです。
文を 書くのも じょうずです。まえに、
作文コンクールで しょうを とった ことも あります。
日よう日。きょうは、お母さんと あかりちゃんが、
びょういんから 帰ってくる 日です。
お父さんが 車で むかえに いきました。
こうちゃんは、お兄ちゃんと いっしょに、家で
まっています。
「ただいまー!」
お母さんです。あかりちゃんを だいています。
こうちゃんは うれしくて、お母さんに かけよります。
「お帰りなさ……。」
「かずや、お父さんから きいたわよ。感想文コンクールで、
ゆうしゅう賞を とったんだってね。おめでとう!」
お母さんは、お兄ちゃんのほうを むいて、
うれしそうに ほほえみました。
お兄ちゃんは、お母さんに ほめられたので、ちょっと
てれくさそうに、頭を かいています。
「あばばばば!」
お父さんは、あかりちゃんをあやしています。
だれも、こうちゃんのほうを 見ていません。
「こうちゃんは よく朝、「ゴホッ、ゴホッ。」と
からぜきを しました。
「頭が いたいよ。」
と、いってみました。
「まあ、かぜかしら。」
お母さんは、しんぱい顔です。
「ねつは ないわね。でも、ひどくなると いけないから、
きょうは 学校を やすむ?」
こうちゃんは、うんと うなずいて、ベッドに
もぐりこみました。これで、きょうは、お母さんを
どくせんできそうです。
こうちゃんは うれしくなります。
ふとんを 頭から かぶり、お母さんに
見えないように、うふふ と わらいます。
でも、つぎの お母さんの ことばで、こうちゃんの
ふとんの なかの えがおは、すーっと きえました。
「こうちゃん、きょうは なるべく、おへやから
でないでね。小さい あかりちゃんに、かぜが
うつったら、たいへんだから。」
お母さんは、あかりちゃんの せわを しながら、
こうちゃんの めんどうも、きちんと みてくれました。
「こうちゃん、今、あかりちゃんの ミルクの 時間が
おわったから、おじやを つくってあげるわね。」
「こうちゃん、今、あかりちゃんが おひるねした
ところなの。アイスクリームでも 食べる?
もってきて あげようか。」
でも、一番は、どうしたって あかりちゃんなのです。
「まえに ぼくが かぜを ひいた ときに くらべると、
お母さんの やさしさは、ぜったい 少なくなって
いる。」
こうちゃんは、そんなふうに かんじました。
「もっと、もっと……やさしくしてほしいんだ。」
こうちゃんは、つぎの 日も、そのつぎの 日も……
なん日も 学校を やすみました。
「おかしいわ。ほんとに かぜなのかしら?」
お母さんは、おいしゃさんに こうちゃんを
つれていきました。
「どこも わるくないですよ。」
おいしゃさんは、そう いいました。
つぎの 朝、お母さんは、ベッドのところまで
いって、こうちゃんをおこしました。
「こうちゃん、かぜは なおってるみたいよ。きょうから、
学校に いこうね。」
こうちゃんは、だまったまま おきて、だまったまま
きがえて、だまったまま 朝食を 食べて、
だまったまま ランドセルを せおいます。
げんかんの ところで、お母さんは あかりちゃんを
だいたまま、お父さんと お兄ちゃんと こうちゃんを、
見おくります。
「いってらっしゃーい。ほら、あかりちゃんも、
『行ってらっしゃい』を しようね。」
お母さんは あかりちゃんの 手を とって、
いっしょに ひらひらと よこに ふります。
お父さんが、あかりちゃんに 話しかけます。
「おりこうだねー、あかりちゃん。かわいいねー、
あかりちゃん。」
ずっと だまったままだった こうちゃんは、
がまんできなくなって さけびました。
「どうせ ぼくなんか、ばかだし、かわいくないよ!」
大声で なきだした こうちゃんを 見て、お父さんも
お兄ちゃんも びっくりしましたが、うしろを
ふりかえりながらも、会社と 学校に むかいました。
お母さんは、あかりちゃんを ベビーベッドに ねかせ、
こうちゃんと まっすぐ むきあいました。
「こうちゃん、あかりちゃんが 生まれてから、お母さん
いそがしくて、こうちゃんの 話、ゆっくり きく
ひま なかった。ごめんね。」
「……ぼく、ぼく、お兄ちゃんには かなわない。
お兄ちゃんは、頭も いいし、かっこいい。
学校じゅうの 人気ものなんだ。」
こうちゃんは、ひっく ひっくと、しゃくりあげています。
「ぼく、ぼく、生まれたばかりの あかりちゃんにも
かなわない。お母さんも お父さんも、あかりちゃんの
ほうばっか 見てる。ぼくの ことなんか どうでも
いいんだ。しかたないよね。ぼくは、できが わるいし、
かわいくも ない。いい とこなんか、ひとつも ない!」
お母さんは こうちゃんを、
ふわりと だきしめました。
「こうちゃんには、いい ところが いっぱい あるじゃ
ない。もっと じしんを もっていいのよ。こうちゃんは、
とっても やさしいわ。まえに お母さんが かぜを
ひいた とき、氷まくらを なんども かえてくれたよね。
レモネードを つくってくれたよね。」
「だって、それは、ぼくが かぜの とき、お母さんが
そうしてくれたから。まねしただけだよ。」
「まくらもとで、パンダの 絵を かいてくれたよね。」
「お母さんが、『なんか かいて。』って いったからだよ。」
「うん。お母さんね、こうちゃんの かく 絵、大すきなの。」
お母さんに だかれて、こうちゃんの 心は、
だんだん だんだん あたたまっていきます。
「ねえ、かずやにも、こうじにも、あかちゃんの ときが
あったのよ。お父さんは、毎日『アババババ。』って
いってたわ。3人とも、かけがえの ない だいじな
だいじな いのちなの。わかってね、こうちゃん。」
お母さんの うでの なかで、お母さんの ひとみの
なかに ちゃんと うつっている 自分を 見て、
こうちゃんの 心は、とても やすらかに なりました。
つぎの 日から こうちゃんは、学校に いきました。
3時間目は 図工の 時間。先生が こう いいます。
「きょうは、自分が すきな ものや、だいじに
思っている ものの 絵を かいてみてね。」
「おれ、機動戦士ガックンの プラモの 絵、かこうっと。」
「わたしは、うちで かってる うさぎの ラビコの 絵。」
こうちゃんは、ちょっと 考えてから、1まいの
絵を かきはじめました。お母さんが あかりちゃんを
だいている ところです。きのうの お母さんの 話を
思いだしながら、心を こめて かきました。
かきあがった 絵の あかりちゃんは、もちろん
あかりちゃんですが、それは、ちょっと お兄ちゃんにも
にていたし、こうちゃんじしんにも にていました。
「まあ、あたたかくて いい 絵ね。」
先生は、こうちゃんの 絵を、コンクールに だしても
いいかな、と ききました。
3か月後。こうちゃんは、全校じどうの まえで、
ちょっと きんちょうした 顔で たっていました。
こうちゃんの 絵は、絵画コンクールで 銀賞を
もらい、それが ちょうれいで しょうかいされたのでした。
「こうちゃん、やったね。すごーい!」
クラスメイトの くみちゃんが、ほめてくれます。
「う、うん。でも、たまたまだよ。いつも しょうを
とっている お兄ちゃんとは ぜんぜん ちがう。」
「顔も ほんとに にてないね。それって、いいよね。
あたしね、おねえちゃんと 『よく にてる。』って
いつも いわれるの。あまり いい 気分しないんだ。
もちろん、おねえちゃんの ことは 大すきだけど。
あたしは、あたあしだから。あたしじしんを
見てよ、って かんじ。」
ああ、くみちゃんは、まえの ときも、そういう いみで
いってたのか。それを、ぼくは、かってに ひがんで……。
こうちゃんは、ひがんだ 自分が、ちょっと
はずかしくなりました。……ちがうから おもしろいし、
ちがうから すてきなんだな。
「こうちゃん、あの絵の あかちゃん、妹だって?」
「うん、あかりって いうんだ。かわいいんだぜー!」
こうちゃんは 思いました。きょう 帰ったら、
まっさきに、この絵を あかりに 見せてやるんだ。
こうちゃんの 絵の タイトルは、『たからもの』です。
(おわり)
第517号 宮ぷー こころの架橋ぷろじぇくと
今日の記事に感動しました、抜粋して載せますね。
あるお嬢さんのお母さんからメールをいただきました。お嬢さんが、夏のある日、
お母さんにメルマガの日記を印刷して見せられたのだそうです。その日記は下のよう
な日記でした。夏のモンゴルへの旅のあと書いた日記です。
・・・・・・
私はもうひとつ、旅の間中考えていることがありました。毎日メールをくださる方
に、どうしても、私の思いをお話ししたいと思っていたのです。これまでも、何度も
そう思いながら言いだすことができなかったけれど、旅が終わったらお話ししてみよ
う。自分の思いを伝えてみようと思っていました。
その方には、お嬢さんがいらっしゃって、過失による事故で、今はベッドに寝たき
りになっておられるのだそうです。どうしても、事故を起こされた方を許すことがで
きなくて、もし、事故に遭っていなかったら、今、お嬢さんは、就職もし、結婚もし
ていただろうと思うと、相手が幸せになるのが我慢できないとメールに書いておられ
ました。そして、保険金以外に、毎月必ず同じ日に、同じ時間に、病院に来て、謝る
ことというのを、条件の一つにされたのだそうです。旅から帰ってパソコンをあける
と、その中に、その方からのメールがありました。
「・・・どんなことがあっても、必ずその日のその時間に病院に来るというのが条件
だったのに、今月はどうしても来れないので日を変えて欲しいと加害者から電話があ
りました。そのようなことは許されることじゃないということが、加害者にはわから
ないのです。どんなに大切な予定であろうと、将来に関わることであろうと、加害者
にはそのような未来があって、被害者はただベッドの上で寝ているだけ。せめて月に
一回のその日くらい、どんなことがあっても、償うということができないのかと腹立
たしく、申し出は断りました。私たちには一生幸せなんて来ないのに・・・幸せにな
る方法があったら、教えてほしい。私はいつもそう思っています。・・・」
いただいたのは、旅の間に決めたことを、お話ししたらいいよと誰かがそう言ってい
るようなそんなメールでした。
「私は幸せになる方法、わかります。知っています。相手の方に“もうあなたは充分
つぐなってくださったから、もう私たちのことは忘れて幸せになってくださいね。あ
なたの幸せを祈っていますね”とお話しされること、そのことのように思えてならな
いんです。私はそのことで、きっときっとお二人が幸せになられると信じます。お嬢
さんとお二人、どんなにおつらい日々を送っておられるだろうということ、私、充分
わかっているつもりです。けれど、私は恨んでいる間は、つらくて、幸せには決して
なれないだって、知っています。知っているつもりなんです。メールをいただいてい
るうちに、どんどん大切になったから、私、旅の間中、帰ったらそのことをお話しし
よう。勇気を出してそうしようと思っていました」
書いてからもまだ、迷って、でも、エイっと送信ボタンを押しました。今日一日、
「どんなふうに思われただろうか?怒っておられるだろうか?と何度も考えました。
けれど、すごくうれしいメールをいただいたのです。私うれしくてうれしくて泣きま
した。
・・・
・・・かっこちゃんからのメール。いったいかっこちゃんは何のつもりなんだろう。
何を言ってるのだろう。話にならないと正直思いました。それなのに、私自身、メー
ルを閉じて、娘とテレビを見て、テレビを消して、ふと、相手に電話をかけてみよう
とそんな気持ちになりました。
そして、電話をかけたあと、私自身もわけがわからなくなって、口走っていたので
す。「もういらっしゃらなくてもいいですよ。充分償ってくださったのですから、幸
せになってくださいね。私もあなたの幸せを祈っています」と言いました。おまけに
私は「あなたのご両親も本当に良い方ですから、あなたの幸せを祈っているでしょ
う。長い間ご両親にもあなたにもつらい思いをさせてしまってごめんなさいね」と言
いました。いったい私のどこにそんな優しい言葉があったのか、自分でも驚いていま
す。電話の向こうから嗚咽が聞こえました。私も言葉が続かなくなって、受話器を置
きました。置いたとたんでした。不思議なことに、かっこちゃん、受話器を置いたと
たん何が起きたと思いますか? 今まで感じたことのないような幸せな気持ちにつつ
まれて、胸がいっぱになって、娘を抱きしめて泣きました。
「よかったんだね、これでよかったよね」と言うと、娘が「ママ、よかったね。
ママ、よかったんだよ」と言いました。娘は「もういいよ」とこれまでも何度も言っ
ていました。でも、私は許せなかった。娘は、また「ママ、よかった、本当に」と言
いました。かっこちゃんは、こうなることがわかっていたのですか?見えていたので
すか?テレビを見終わったあの一瞬に何が起きたのか、何か導かれるようにかけてし
まった電話ですが、もし、体の不自由な宮ぷーのところに毎日欠かさずに出かけてい
るかっこちゃんでなかったら、私はこんなこと絶対にしなかったはずです。これか
ら、今日のことを後悔することがあるでしょうか?まだ実はわかりませんが、私が口
から出た「今までごめんなさいね」の言葉はかっこちゃんの言葉でなくて、私の心か
ら出た言葉であるならば、私の中にも実はそんな心が残っていたのでしょう
ね。・・・・
・・・
私も一緒に泣きました。そうですよね。恨んでいては決して幸せになれない。自分が
つらいときに、相手も辛ければいいなんてことあるはずがないですもの。私はお二人
が本当にすごいなあと思います。「ごめんなさいね」とおっしゃっられたこと、私、
本当に尊敬します。今日はそんなうれしいことがありました。
病院に行ったら、宮ぷーは熱がありました。でも、宮ぷーにこの話をしたら、喜ん
でいたよ。よかったねって喜んでくれて、私もうれしくなりました。昨日、おしっこ
にもろもろがまた入っていたので、それで熱が出たのかなあと思いました。熱が下が
りますように、つらいのが、なおりますように。
・・・・・・・
それが夏のある日の日記でした。その日の日記のことについてメールをいただいたの
です。
・・・・・
去年の夏ごろだったと思います。過失の事故のために、娘さんが障害者になり、お母
さんが、相手を許せなかったのに許したという日記の印刷をしたものを、娘が私のと
ころに手紙と一緒に送ってきました。「そろそろお父さんを許してあげてください。
お母さん、恨んでいる間は幸せになれないと私も思います。ずっとそのことをお母さ
んに伝えたかった。けれど、毎日読んでいるかっこちゃんの日記に力をもらって、今
日お母さんに伝えます。どうぞお父さんをもう許してあげてください」
主人は、娘たちがまだ小さいときに他の女のところに行くようになりました。そし
て、時折帰って来ては、また他へでかける月日が続きました。仕事と嘘をついて出か
ける主人に愛想をつかして、私は子供たちと家を出ました。私はそれから、女手ひと
つで子供たちを育てました。主人は他の女の人とは、しばらくして、縁を切ったよう
で、何度も戻ってくるように私のところへ電話をよこしましたが、私はどうしても主
人を許すことができずに、20年という歳月が経ちました。ところが、去年の春、私は
発病しました。病名は乳癌でした。手術をして、抗がん剤を投与しながら、家にいた
ときに、娘が持ってきたのが、かっこちゃんの日記でした。娘の手紙に、何をいまさ
らという気持ちがありました。けれど、娘に内緒でこっそり日記を登録しました。
懸命にリハビリをされる宮ぷーさんとかっこちゃんの毎日を知るうちに、私が、主人
を恨みに思うことがいつのまにかばかばかしいことのように思えてきました。そんな
ときに、主人から、「どうぞ僕のことを許して下さい。あなたが病気になって、いっ
そうあなたのことを大切に思えます」とはがきが来ました。私は、主人がいなくなっ
たときも、家を出たときも、癌が見つかったときも泣きはしませんでした。けれど、
主人からのはがきを読んだときに、年甲斐もなく大きな声をあげて泣きました。そし
て、「私こそ、長い時間、つらい仕打ちをしてしまったことを許して下さい」とはが
きを書いて投函しました。
かっこちゃん、長々と書きましたが、今年のクリスマスとお正月は主人、娘、息
子、私と4人そろってすごすことができました。かっこちゃんと宮ぷーさんに心から
感謝しています。癌は私の恨みから来たもののような気がしてなりません。もちろん
癌という病気がそれだけではない理由の方もおられます。私の場合はそうであった気
がします。今は癌に感謝しています。私は子供たちが小さい頃は、主人を許すこと
が、私の芯が崩れて、子供を育てられなくなるような気がしていましたが、娘に教え
られて、今の幸せがあります。癌になったことで、おそらくは気弱にもなっていて、
主人の優しさが身にしみたのでしょう。考えれば主人が他の女の人に走ってしまった
のも、私が子供に夢中で、主人に冷たく当たったことが原因だったのに、主人はそん
な私をずっと許し続けてくれていました。主人のことをこれからは大切にしていたい
と思います。お二人のことこれからも応援しています。花より
・・・・・
花さんからのメール、うれしいです。幸せな空気が、私のところにまでやってきて、
私もすごくうれしくなりました。ああよかった。よかったです。ありがとうございま
す。そして、思いました。夏のお母さんと娘さんのできごとが、それだけでは終わら
なくて、こうして、また違うお母さんと娘さんが、「幸せです」っておっしゃること
につながっていく。みんな一つのことはそれだけではないんだなあと思いました。ど
のことにも、神様の計らいがあるのなら、みんなで、ひとつの命をあすへ向かって生
きていられるようなそんな気がしました。明日もみなさんにいいこといっぱいありま
すように。どんなことも、全部いいことにつながっているから大丈夫ですね。
かつこ
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携帯からは空メールを送れば登録できます。a0001012961@mobile.mag2.com
このメルマガは脳幹出血で倒れ、これまでの医学の常識では再起不能と思われていた
宮ぷーの病院での毎日を、親友の山元加津子が綴った日記からその一部を配信してい
ます。紆余曲折があり、今は宮ぷーの願いは自分の経験を通して意思伝達装置のこと
をみんなにお知らせすること。その願いの実現に近づくようにこのメルマガを広める
ことにお力を貸して下さい。お友達に転送お願いします。
詳しいことは、こちらのページをお読みください。
http://ohanashi-daisuki.com/info/story.html
今から25年程前の話ですが、
私の母は40代から血圧が高くなり、上が180~200位ありました。
病院にも掛かっていて、血圧を下げる薬も飲んでいましたが・・・
この薬を飲むと、とても気分が悪くなるので飲むのを止めてしまっていたそうです。
そして、母が49歳の時、
夕方、私が食事の用意をしていると、
妹から電話が掛かって来ました。
「お母さんが、分からなくなって救急車で運ばれた!早く病院に来て!」と
何が何だか分からないまま急いで病院へ行きました。
病院に着くと、妹が居たので「お母さんは?」と聞くと下を向いたまま黙っています。
そして、父や姉や兄にも問いかけたのに誰も話してくれません・・・
困っていると、父の妹(おばさん)が、母の状態を話してくれました。
「お母さんは、頭の真ん中の血管が裂けて危篤状態で今、手術をしている。」
「え?・・・何・・何で?」・・・
妹の方を見るとわんわん泣き出しました。
そうです、病院に来てすぐに母の状態を話してもらおうと思って
妹達に話かけましたが、母の状態を医師から聞きレントゲンを見ていた
妹達は、私にその事を告げるのが辛かったのです。
それが分かった私も、わんわん泣いてしまいました。
そして、手術も終わり病室に運ばれて来た母の姿は頭に2本の管が付いていました。
医師の説明では、「もう手の施しようが無いので、頭の中に溜まった血を抜く事しか出来ません。
お母さんは後、一週間の命でしょう・・・・・会わせたい人がいたら呼んであげて下さい。」
あぁ・・・なんと悲しい告知でしょう。
この時、私は20代でした。
後、一週間で母が亡くなってしまう・・・
夢ならさめて、お母さん、お母さんと何度も呼びました。
でも、母は目を閉じたままでした。
私たちは、病院に寝泊りして交代で母に寄り添っていました。
親戚の人や母の友達も見舞いに来てくれました。
母の妹達は、毎日やってきて奇跡が起きないかとお祈りもしてくれました。
私も必死になって奇跡が起きるように祈りました。
そして、意識の無い母の手をにぎったり、話し掛けたりしました。
何の反応も無い母でしたが、6日目に手をにぎった時
ぎゅうっと、にぎり返してくれたので、
兄妹に「お母さんが手を、にぎってくれた。」と言うと、
無意識で手が動いただけだとみんなに言われました。
そして、悲しい事に、
医師の宣告通りたった一週間でこの世を去ってしまいました。
まだ、49歳・・・子育ても終わり、やっと生活も楽になり
これから父と第二の人生が始まる予定の母でした。
まだまだ、やりたい事も有ったでしょう・・・
脳幹出血で倒れてから、誰とも話す事もなく逝ってしまった母
悲しくて、悔しくて本当に辛かったです。
あれから、25年・・・・不思議なめぐり合わせですね、
今、私は同じ脳幹出血で倒れた「宮ぷー」さんを応援しています。
そして、1つ気付いた事があります。
母は49歳でこの世を去ってしまいましたが・・・
同じ病気の「宮ぷー」さんが、奇跡的に回復されて頑張っておられるブログ
「宮ぷー レッツチャットで、今日もおはなし」を読んで思ったのです。
http://ameblo.jp/miyapu-ohanashi/
母は意識不明のまま一週間の命でしたが、
亡くなる前日に私の手をぎゅうっと握ってくれました。
その時は、無意識で手が動いただけだとみんなに言われましたが、
「宮ぷー」さんのブログを読んでいて、
やはり母は意識が有って私の手を握ってくれたのかも知れないと思うと・・・
悲しいけど、最後の握手が出来たんだなと思えました。
今までは、考えられなかったけどそんな風に思える事がとても嬉しいです。
私の次男(中2)は重い自閉症なので言葉がまだ話せませんが
宮ぷーさんが色々な意思の伝達方法を使っている姿を見て
我が子にも可能性がいっぱい有ると希望も持てました。
本当に「宮ぷー」さんやかっこちゃんの存在を知って良かったです。
これからも、お二人で夢をかなえていってください。
私も「 おはなし広報大使」としてお手伝いさせて頂きます。
「満月をきれいと僕は言えるぞ」の本は本当に素晴らしい本です!
勇気や希望が湧いてきます。
真実の本だからこそ心に響きます。
私は涙なくしては読めませんでした。
もう号泣です。
一人でも多くの人に読んでもらいたいです。
お友達が、私のブログを見て自分のブログ(さくら親児会)にも
「満月をきれいと僕は言えるぞ」の記事を書いてくださいました。
その記事に凄く感動したので、ここに載せます。
ここからです。
この事は障がい児の子育てだけでなく、高齢者の親を持つ人や
自分自身に事故が起こった時に役立つじゃーないかとおもいました、
みなさ~ん!
身内でもないのに自分自身が倒れた時にこれほど親身になって、
また再起を信じて意識の無い人間を介抱してくれる人がいますか ^_^;
いや~さすが「かっこちゃん」何故かこの先生の周りには、
奇跡が沢山起こります「かっこちゃん」に超能力があるのか、否!
私が思うのに、この先生程真剣に親以上にかかわった児童に
真剣に取り組む人は見た事も聞いた事もありません、
ホントに、
子ども達のどの言葉もどんなに小さな仕草も注意深く見聞きし、
真剣に理解仕様とする姿は、ほんと見習わなければいけません
だから、子ども達は「かっこちゃん」を好きになり、自分がもってる
全ての引き出しを見せてくれる様になります・・・・
これなんですね~ (^-^)
是非日本国中に「かっこちゃん」と
「四分の一の奇跡」他etc 広めなくてはなりません
そして、障がい児を育てる親・障がい児教育に携わる全ての人には、
必ず知ってもらい、理解してもらわなくてはなりません、
ほんと必ずですっ!!
又、この事は、私が17年前に
神戸で受講したドーマン研究所の脳障がい児をもつ
親のコースでのG・ドーマン博士の授業でも博士が言ってました
「体が何の反応もして無くても、脳の意識は必ず反応する、
だから生きてる限りは医者がなんと言おうとも刺激を与え続けなさい、
それは・・一般人が異常と思える様な大きな音と、
刺激的な匂い、皮膚刺激でなくては駄目です!
親・愛する人は、医者から、なんとわれようと、
生きてる限りは与え続けましょう・・・・・」
なぜなら・・・・!!
「親こそ最良の医師」なのですから・・・・・」と いや~ホントでしたー!!
さくら親児会さんのブログはこちらhttp://sakuraoyajikai.junglekouen.com/e348079.html
とても、力強い内容を書いてくれていました。
読んでいて、私は感動して泣いちゃいました。
クリスマス 携帯バージョン
可愛いのでここにアップ
携帯用の画像お友達にも紹介してね。
「満月をきれいと僕は言えるぞ」
(三五館)1500円税別
宮田俊也・山元加津子著が
発売になりました。
前書きを引用します。
私の心は確かにここにあるのに、
私の心が言葉となって届かない。
届かないどころか、私の中に、
心があることすら、だれにも気づいてもらえない。
不安とさびしさに叫びたかった。
「助けて。わたしはここにいるの。気がついて!!」
そんな悲しい気持ちで目が覚めました。
夢から覚めたあとも、
その状態にもし自分がおかれたら、いったいどうしたらいい
のだろうとそのことをずっと考えていました。
ロックト・イン・シンドロームという言葉があります。
日本語で閉じ込め症候群といわれています。
思いをしっかりと持っていながら、
体のどこも動かないために、
自分の思いを伝達する方法がなく、
心が閉じ込められた状態をいいます。
私の元同僚で親友の宮田俊也さん
(宮ぷー)はそのロックト・イン・シンドロームの状態にありました。
やがて宮ぷーはゆっくりではありますが、奇跡的な回復をつづけ、
動き出した頭や指の動きを意思伝達装置につなげ、
言葉を紡ぎだすようになりました。
ロックト・イン・シンドロームに限らず、
何らかの理由で、気持ちを伝えたいと願いながらも、
伝えることのできない人たちは世界中に、
数百万人、あるいは数千万人いるといわれています。
そして、その多くの人が、意思伝達の方法が広まっていないために、
情報が届かず、そのために思いが伝えられないという現実があるのです。
近視には、メガネやコンタクトが必要とだれでも知っているように、
もし、世界中に、
意思伝達の方法や意思伝達装置の存在が当たり前になっていたら、
その現実は大きく変わっていたでしょう。
ただ、「知らない」というそれだけのために、
たったそれだけの理由のために、何年も何十年もの長い間、
心を閉じ込めて、目の前の人に「大好き」と言えない。
「ありがとう」と言えない。「さびしかった」と言えない。
心が通わせられない。そんなことがあっていいはずはないのです。
宮ぷーは脳出血のためですが、
交通事故や他の病気など、意思が伝えられなくなる原因はいろいろあって、
それは突然やってきます。もし、自分が伝えられない状況に
なったときに、自分がいくら方法を知っていても、
まわりの人が方法を知らなければ、夢の中の私のように、
思いを伝えることはできないでしょう。
広まっていないということが、他人事ではないのです。
自分もまた、いつその状況になるかわからないのです。
私は、特別支援学校の教員を長くしています。
子どもたちは、どんなに障害が重くても、必ずだれもが思いを持っていて、
だれもが思いを伝えたいのだということを教えてくれます。
いっしょに気持ちを伝える方法を探して、
それが見つかったときの笑顔は、
何にもたとえようのないほどに輝いています。
この物語は、宮ぷーや仲間がヘッドライトの光となって、
すべての人が気持ちを伝えられるように
暗闇の中を照らしながら突き進む物語です。
そして、「読んでくださる皆さんも、仲間になってください、
意思伝達の方法があることを多くの人に伝えてください」
というお願いの物語でもあります。
今日は月がきれいです。
宮ぷーはある日、急に涙を見せて
「満月をきれいと僕は言えるぞ」と言いました。
きれいな月をきれいと言える、大好きな人に好きと言える、
おいしいものをおいしいと言える、
当たり前のように私たちが思っていることが、
決して当たり前ではなかったのです。
心が揺さぶられて私も涙がこぼれました。
あなたも私も、そしてすべての人が、これから先、
いつまでも、自分のあふれる思いを相手に伝えられるように、
「意思伝達大作戦」がはじまります。
私も、この本を応援しています。
何らかの理由で、気持ちを伝えたいと願いながらも、
伝えることのできない人たちは世界中に、数百万人、
あるいは数千万人いると言われています。
そして、その多くの人が、意思伝達の方法が広まっていないために、
情報が届かず、そのために思いが伝えられないという現実があるのです。
近視には、メガネやコンタクトが必要と誰でも知っているように、
もし、世界中に、意思伝達の方法や意思伝達装置の存在が当たり前になっていたら、
その現実は大きく変わっていたでしょう。
ただ、「しらない」というそれだけのために、たったそれだけの理由のために、
何年も何十年もの長い間、心を閉じ込めて、目の前の人に「大好き」と言えない。
「ありがとう」と言えない。「さびしかった」と言えない。
心が通わせられない。そんなことがあっていいはずはないのです。
どうぞ、みなさん、意思伝達の方法を知ってください。
そして、広めていただけたらうれしいです。
意思伝達希望カード(ノースティカード)
ダウンロードはこちら
↓
http://ohanashi-daisuki.com/hiroba/index.html
私の心がここにあることに気づいて!わかって!という意味です。
意思伝達の方法をいくら本人が知っていても、
それをまわりに伝えられない状況に万一なってしまった場合、
まわりの方が知っていなければ、
意思伝達の方法や意思伝達装置を用意してはもらえないと思います。
「おはなしだいすき」を見た記憶はそのときに必ず役に立ってくれると思うのです。
「意思伝達希望カード」はぜひ、そういう意味でいつも持っていていただきたいです。
意思伝達の方法が広まればいいというのは、
そういうつらい状況の方を少なくしたいという思いでしたが、
でも、本当は違う。自分や、愛する家族のためでもあるのですね。
宮ぷーとかっこちゃんドキュメンタリー
今日、徳島県庁へ、
演劇「カッコちゃんと素敵な仲間たち!詩と歌と踊りの2010年夏」
のかっこちゃん役の片山ゆう子さんのご主人と
「おはなしノート」のイラストを描かれた、
きんこ(西山欣子)さんのお二人が、
「お話しノート」の事を宣伝して下さいます。
おはなしノートのダウンロードはこちら
↓
http://ohanashi-daisuki.com/talk/note/index.html
おはなしだいすきのページを作られた方のご紹介
↓
http://ohanashi-daisuki.com/info/member.html
これで、また徳島全域に「おはなしノート」が広まりますね!
素晴らしい事です~
きんこさんとは、12月11日(土)の午前中に
きんこさんの個展会場に家族でお邪魔しました。
和也ときんこさんと真也
きんこさんと私
きんこさんのイラストはこちら
↓
http://www.kinko2.jp/
そして、会場で
おはなし広報大使のお仕事中に
武市りえさんにお会いできました。
りえさんも「おはなしノート」のイラストを描かれています。
りえさんと私
りえさんのイラストはこちら
↓
http://rie-takeichi.com/
そして、素晴らしい劇団「夢層」の
演劇「カッコちゃんと素敵な仲間たち!詩と歌と踊りの2010年夏」
いい言葉みつけた。
「人の命は短いものだ。
不正になじんで、
お金をたくさん持った人は、
人の痛みと
悲しみと
喜びの区別がつかなくなることが多い
不正で得た蓄財は軽く、
感謝がない分、
割れガメから水が少しづつ漏れるように
漏れていく」
「生き金とは、
自分や自分の家族のためだけでなく、
また、
自分たちの快のために使うのではなく、
他の人々のよろこびのため、
弱き人々のために使うお金をいう。
それは、
また冬の日に居心地の良い陽だまりに人が集まるように帰ってくる。」