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2010年 7月 9日(金)  鳥取県大会 

テーマ「手と手っ とりあって」

研究協議
山口県・広島県・鳥取県のPTAの素晴らしい発表がありました。

特に、鳥取県の取り組みで、人権集会コンサート 
障害者(リップル音楽団)の方とのふれあい。
感動のコンサートでした。人権意識を高める。
人と人との繋がりの大切さを発表してくれました。

私も障がいを持つ子の親としてこの映像に感激しました。
我が校でも、このような取り組みを参考にしたいと思います。

午後からは、

高校生による発表も有りました。

倉農太鼓~風打吹流~

新体操・・・お父さん達の新体操も^^

そして、荒神神楽「八重垣能」 など、
高校生がしているとは・・
とても見えない素晴らしい演技でした。

 MALTA(マルタ)さん (講演&演奏) 

今回の演奏画像ではありませんが、
MALTA (マルタ)さんの素晴らしい演奏を聴いて下さい。
        講演の中で印象に残った言葉

     「運は、人に頼ってはイケないよ・・・
     99%の自分の汗と血と涙だよ。
     後の1%が、もしかしたら運かも知れない。」そして、
     「若さはお金で買えない。若い人は今、
     出来る事をやりましょう」と話してくれました。



      
      
      ※ この大会に参加出来て本当に良かったです。
      子どもを預かって下さった。
      「ルキーナ・うだつ」様、お世話になりました。
      また、地域の支援員の方々など
      沢山の方の助けが有ったので参加できました。
      本当にありがとうございました。

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一泊二日の旅

東京まで、行ってきました。
 初めての一人旅

しかも、電車や地下鉄(初体験)を乗り継ぎ、
無事、目的地へ辿り着きました。\(T▽T)/

そして、総会・研修・会議・懇親会とっても中身の濃い
そして貴重な二日間を過ごさせて頂きました。


相田みつをさんの作品紹介
YouTubeで見つけました。


 



                この言葉は、今回の会合にピッタリだと想います。
 

相田みつを【角額】「そのときの出逢いが」

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地元のテレビ局の方から、
私達のコメントや長男の作品を映した
映像がDVDとなって送られてきました。
 
早速、家族と観てビックリ・・・
とても、上手に編集して下さったので、
私も長男も、落ち着いた表情で言葉も
聞き取り易くなっていました。
 
このDVDは、我が家の宝物となりました。
 
制作して下さった皆様、
本当にありがとうございました。

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今回の作品展は、地域の教育委員会が主催して下さいました。

町内で有線放送や
地元のケーブルTVなどの取材もあり
長男はとても緊張していました。

でも、とっても良い思い出となりました。

作品展に来てくださった方
ありがとうございました。

また、来年度も教育委員会主催で
作品展をして下さるそうです。
「来年に向けて作品作りをしようね。」
と長男と話してます。
 

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2010年4月3日(土)~4月7日(水)まで

地域の展示場で作品展が
開催される事になりました。

ここで、
少し紹介します。
見てやって下さい。(≧∇≦)/

 
 
<作品名 世界の建築物>


 
 <作品名 香港の夜景>


<作品名 僕の好きな交差点>
 

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「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」
というものがありますね。

さて、この言葉は本当でしょうか?
真実なのでしょうか?
世界全体が幸福にならないうちに、個人が幸福に
なることは、ないのでしょうか?


↓(思索タイム)

いかがでしたか?
もちろん正解などはありません。

皆さんそれぞれに、
ご自分なりの考えを深められたことと思います。

「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」

「たしかに高尚なことを言っているようだけど、きれいごと
のようにも聞こえる。これは必ずしも本当ではないのでは
ないか。世界全体が幸福にならなくても、個人の幸福は
実現し得るのではないか」
と感じました。

「だから、まずは自分の幸せだけを考えて生きればいい
のではないか」
とも思いました。

たしかに、目標を達成する(願望を実現する)ということは、
嬉しいことです。
幸福感や達成感も得られます。

しかし、そこで得られるのは、実は一時的な感情です。

一時的な感情(幸福感、達成感)を得るということと、
真の幸せを実現するということは、まったく別物だったの
です。

具体的に言いますと、
たとえば次のような目標を達成された方たちがいました。

・ 理想的な額の年収を得られるようになった

・ 多くの人から認められ、尊敬されるようになった

・ 仕事で成功できた

・ マイホームと別荘を手に入れた

・ 充分な資産を築けた  ・・・等など

そして、
これらの目標を達成していながら、幸せではない人。
これらの願望を実現していながら、精神的には満たされて
いない(あるいは一時的に満たされたが長続きしない)人。

そんな人をたくさん見たのです。

その人たちは、望んでいたものを手に入れていながら、


優越感と劣等感の間を行ったり来たりして、安らぎを感じ
るひまもなかったり、

手に入れたステイタスや収入を失うことへの不安に駆り
立てられていたり、

なぜか友人が離れていって孤独になっていたり、

築きあげた実績に縛られて自由な生き方ができなくなっ
ていたり、

手に入れた力(影響力、発言力)に頼るようになって、
謙虚さを失ったり・・・

こちらから見て、
「この人は、目標を達成する以前の方が幸せだったの
ではないか」
と思えるケースも決して珍しくありませんでした。

そんな方たちの中には、
妄信的なポジティブシンキングに陥っている方もおられて、
上記のような現実に向き合おうとせず、

「私はハッピーだ!すべてはうまくいってる!これでいいの
だ!なんの問題もない!さらに大きな目標に向かって突き
進むのみ!」
って感じで、突っ走ったりされます。

しかし中には、自分の現実と向き合う勇気を持つ方もおら
れ、

ご自分と向き合われた結果、

「目標を達成する以前の方が、はるかに充実していたし自
由だった。自分自身も謙虚だったし、友達もたくさんいた」
ということに気づかれたりしました。

さて、ここで誤解していただきたくないのですが、

「目標を達成したら不幸になる」 という話では、
もちろんありません(^^;

実際、
「目標を達成して、しかも精神的に満たされている(=幸せ
な人生を実現している)」 という人もいらっしゃいました。

その人たちの話を伺っていて、

その人たちが精神的に満たされている根拠は、
目標の達成や願望の実現とは全く違う次元のものである。
ということに気づきました。

つまり、その人たちは、
目標を達成したり願望を実現したりしたから満たされたの
ではなく、
それ以前から、心のあり方によって、精神的に満たされて
いたのです。

また、このことに関連して、次のことにも気づきました。


「目標を達成する(願望を実現する)ことが、幸せな人生を
実現する条件だ」 と信じている人、つまり、
「目標を達成する(願望を実現する)ことによって幸せにな
れる」 と信じている人は、

仮にその目標を達成(願望を実現)したとしても、
得られるのはその場の達成感・幸福感だけであって、
精神的に満たされることがない(=幸せな人生を実現でき
ない)、

また、目標を達成(願望を実現)していくプロセスを楽しむ
ことができなくなる(駆り立てられるようになる)。

以上の事実に気づいたものの、
なぜそうなのかは説明できませんでした。

ただ、たくさんの人を観察すればするほど、
取材すればするほど、
上記の事実を確信するに至るのでした。

(この事実に関しては、現在出ている本では、
『成功して不幸になる人びと』(ジョン・オニール著、ダイヤ
モンド社)という本が参考になります)

そして
「人は自分の器(=人格)にふさわしい人生を実現する
のではないか」

『7つの習慣』という本に出会い、
人格主義という言葉を知り、

「これだ!」 と確信を強めました。

さらに、安岡正篤氏のご著書などに触れて、

「人は自分の器にふさわしい人生を実現する」
という真実が、はるか昔から語られていたということを
知り、

「もっと本(特に古典)を読まなければ!」 と感じました。

話を整理しますと、気づいた真実は、

「幸せな人生を実現したければ、幸せな人生を実現するに
ふさわしい器(=人格)の人間になるしかない」
ということです。

逆に、
「自分の器を大きくする(=人格を磨く)」という本質的方法
以外のやり方によって幸せを得ようとすると、空回りする。
とも言えます。

つまり、「目標の達成や願望の実現によって幸せになれる」
という錯覚は、空回りを起こす。

さらに言いますと、
ちょっと怖い言い方かもしれませんが(^^;


“その人の人間としての器”以上の願望を実現した場合、
その人の人生は転落を始める。
ということなのです。

つまり、その人の心の波長にピッタリの人生に戻すべく、
様々な出来事が起こるわけです。

だからこそ、

願望の実現を目指すことを主軸にして生きるよりも、
自分の人間としての器を大きくすることに意識を集中させ
て生きる方が、
はるかに効率的だし、
幸せに直結した生き方と言えるわけです。

(逆に、目標や願望への執着が、人生の苦しみの原因に
なることも多々あります)

「幸せを決めるのは“心のあり方”である」

というシンプルな原理にたどりつきました。


この原理は、

「幸せになるための条件は“心の豊かさ”である」

と言い換えることもできると思います。

(この原理こそ、賢治の言葉が真実かどうかを検証する鍵を
握ります)

さらに、その“心のあり方、心の豊かさ”というのを追求した
結果、

「心の豊かさをもたらすものは “感謝” と “貢献” である」
ということに気づきました。

つまり、真の幸せを実現する人は、
次の2つを満たす人であると気づいたのです。

1.「いま生きていることがありがたい。毎日がありがたくて
  ありがたくて・・・」 と、当たり前のことに心から感謝して
  いる。

2.「自分は、誰か(家族や会社や社会や地球)の幸せに
  貢献できている」 という実感を持って生活している。

今まで、たくさんの方を見てきて、

「上記の2つを満たしていながら幸せでない」という人を
一人も見たことがありませんし、

「上記のどちらかを満たしていないけど、心から幸せな
人生を実現している」という人も見たことがありません。

(ただし、ここで言う幸せとは、一時的な幸福感のことで
はなく、深いレベルでの幸せ、つまり真の幸せです)

1の「感謝」が要(かなめ)であろうと思っています。

つまり、「感謝」に満たされれば、
自然に2の「貢献」という状態も実現する。

だからこそ、「感謝」が鍵を握ると思うのです。

これはつまり、

「真の幸せを実現するには、感謝力を高めること」
と言ってもいいと思うんです。

感謝力が高まった状態とは、
当たり前のことに、心から「ありがたい」と感じられる状態
です。

日常のなにげないことに喜びを感じ、感動・感謝する心境
です。

では、この状態に至るためには何が必要か。

それは“豊かな感性”です。

当たり前のことを「有り難い(=めったにない。奇跡だ)」と
感じるようになるには、豊かな感性が必要なのです。


朝、目が覚めたことを喜べる感性。

住む家があることに心から感動・感謝できる感性。

食べるものがあることを「有り難い!」と思える感性。

そして人は、“感性”が豊かになってくると、
当然、“共感性”も豊かになってきます。

“共感性”は感性の重要な要素の一部であり、
感性と切り離すことができないものだからです。

ということは、

真の幸せを実現できるほど心が豊かな人、

つまり、日常の当たり前のことに心から感謝できるほど
感性が豊かな人は、

共感性も豊かであるがゆえに、

目の前に苦しんでいる人がいたら、その苦しみに共感
し、胸が痛む。
世界に苦しんでいる人がいると知ると、その苦しみに
共感し、胸が痛む。

結論として・・・
「真の幸せを実現するには心の豊かさが不可欠。
 
 真の幸せを実現できるほど心が豊かな人は、
 共感性も豊かであるがゆえに、
 世界全体が幸せになるまで、胸の痛みから解放される
ことはない。

 したがって、個人が真の幸せを実現するためには、
 世界全体が幸せになることが必要条件」

という結論に至り、

「宮澤賢治の言葉は真実だ」 と感じるとともに、

「おー、人間って、なんて素敵な生き物なんだろう!」
と感動した次第です(^^

だから、
「世界には問題がたくさんあるかもしれませんが、そこには
関心がありません。私個人は本当の幸せを実現できました」
という人は世の中にいないと、思っています。
(実際に出会ったことがないですし)

仮に
「世界には問題がたくさんあるかもしれませんが、そこには
関心がありません。私個人は本当の幸せを実現できました」
と、思っている人がいるとしたら、

その人の考える幸せというのはまだまだ浅いレベルであり、
かつ、不安定な幸せ(=条件によって左右される幸せ)だと
思うんです。

釈迦やイエスや孔子のような人たちのことを想像するに、

世の中の不幸がすべてなくならない限り、
彼らの胸の痛みが消えることはなかったのではないかと
思うんです。

だから彼らは、胸の痛み(=悲しみ)を抱えながら、
死ぬまで休まず教えを説き続けたんだと思うんです。

だからこそ、崇高な生き方と言えると思うんです。

以上が、「賢治の言葉は真実だ」と考えるに至った経緯です。

賢治の言葉が真実だとしたら、やはり、

私欲(小欲)を追求して生きるよりも、
志(大欲)に生きる方が、幸せへの王道だと思います。

ただ、「志に生きる」というと、
「自分を犠牲にして公に尽くす」 というような、自己犠牲的な
暗いイメージを持たれる方も世の中にはいるのですが、

志というのは、
自分の中のワクワクを大切にしていった延長に見出される
ものだと思います。

自分の幸せだけを追求する生き方は空回りすることになるし、
何よりも虚しい生き方だ。

かといって、
自らの幸せを犠牲にするような生き方はしたくない。

まず、「世界全体の幸福に貢献できる人間になる」という志を
持とう。

そして、自分の幸せを大切にしながら、
同時に、ワクワクできる範囲で、周りの人たちの幸せに貢献
していこう。

以上、“幸せ観”みたいなものをお話ししました。

皆さんがご自分の幸せについて考えられるきっかけになれば
嬉しいです。

あとご参考までに、
宮澤賢治の『農業芸術概論綱要』の序論の言葉を紹介します。

「世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。
自我の意識は個人から集団的社会宇宙へと次第に進化する。
この方向は古い聖者の踏み、また教えた道ではないか。
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある。
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識して、これに応じ
ていくことである。
われらは世界のまことの幸福を索ねよう。
求道すでに道である」

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

※これは、野口嘉則さんのメルマガです。
非常に共感できる内容なのでブログにアップさせて貰いました。

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「お母さん、僕が生まれてごめんなさい」(扶桑社)
本の中で紹介されている詩をご紹介します。
 
ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくはいう
ぼくさえ 生まれなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも
「かたわな子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら
 
ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり
 
向野先生は、明日香養護学校(奈良県)で
言葉も十分話せず手足も不自由な子ども達に、
言語訓練をしていました。

その時の生徒(康文君)が向野先生の言葉と、
康文君が表現したいこととが一致すれば
目をぎゅっとつぶってイエスのサイン、
違っていれば舌を出してノーのサインを送るという方法で、
詩作は進められました。
「ごめんなさいね おかあさん」だけで一ヶ月ぐらいかかりました。
と、向野先生は振り返っています。

康文君のお母さんは、彼の詩を受けて、詩で返しています。
 
私の息子よ ゆるしてね
わたしのむすこよ ゆるしてね
このかあさんを ゆるしておくれ
お前が 脳性マヒと知ったとき
ああごめんなさいと 泣きました
いっぱいいっぱい 泣きました
いつまでたっても 歩けない
お前を背負って歩くとき
肩にくい込む重さより
「歩きたかろうね」と 母心
”重くはない?”と聞いている
あなたの心が せつなくて
わたしの息子よ ありがとう
ありがとう 息子よ
あなたのすがたを見守って
お母さんは 生きてゆく
悲しいまでの がんばりと
人をいたわるほほえみの
その笑顔で 生きている
脳性マヒの わが息子
そこに あなたがいるかぎり
 
「第一回わたぼうしコンサート」は昭和50年4月26日、
奈良市内で開かれました。

康文君も車椅子でステージにあがり、
向野先生がその詩を朗読しました。
彼の後ろにはお母さんも付き添っていました。

それから二ヶ月もたずに、康文君は6月11日に亡くなりました。
15歳の誕生日を迎えた直後だったそうです。

このコンサートは、彼にとって最後の晴れ舞台だったそうです。
向野先生は、このタイトル
「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」・・・康文君の言葉に
私達がそう言わせない環境にしていかなければならないと強く発言してくれました。
 
向野先生の言われる通り、
「生まれて、ごめんなさい」じゃなくて・・・
「産んでくれてありがとう」って
子ども達が言える社会になって欲しいと私も願っています。

私の次男も、重度の知的障害のある自閉症なので、言葉が喋れません・・・
康文君と同様、「はい」「いいえ」などは手を使ってのサインです。
本人も喋れない分、想いも伝わり難く苦労していますが

向野先生は、康文君の涙と、汗と、よだれと、不自由な手足の動きで
彼の想いを汲み取ったと教えてくれました。
もう、その話を聞いただけで胸がいっぱいになりました。

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昨年の夏、
特別支援学校知的障害教育校PTA連合会の近畿大会で
向野幾世先生の感動の講演を聞いてから半年後・・・

我が校にその先生が講演に来て下さる。
夢の様な事が実現しました。

会長の熱い思いが向野先生に届いたと、
先生ご自身がおっしゃっていました。

今日の講演で、印象に残った言葉は、
「はい」と言う言葉を(しりあがりに)語尾を上げるだけで
人生がまるごと変わるんだと教えてくれました。
それは、人生を自分から受け止めていく事だと・・・

「はい」の一言で自分から進んで行動する
何か私に出来る事はないですか?と
奉仕の心を育てるんだとおっしゃっていました。

そして、
たくさん感動の言葉を聞けました。
また、明日からこの人生を生きて行くんだと
力が湧いてきました。

たくさんの励ましの言葉と
慈しみの言葉で私達は癒されました。

向野先生、本当に今日はありがとうございました。
また、私達のところへ来て下さいね。

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一月は、あっという間に終わりに近付いてますね。

今月は、忙しかった事も有り、お正月をゆっくり
楽しめなかったかも知れません・・・

まぁ、子ども達に関しては楽しいお正月だったみたいです。
親になると、楽しくても心から楽しめないのは
少し悲しい事かも知れません。

先週は、地元の文化会館で詩の朗読コンサートが有りました。
長男と末っ子との3人で聞きに行きました。
ピアノの弾き語りを聞きながら、女性の声で
心の詩が読まれ生きて行く意味を考えながら
命の大切さも考えさせられました。
とても、有意義な時間を過ごせました。

この、コンサートを教えて下さった。
Tさん、ありがとうございました。

あ。。。。
そうそう、
5年ぶりだと思うのですが、先週大雪が降りました。
長男達の学校は休校になるほど積もりました。
雪は、降ると楽しい気分になります!!

子ども達は大喜びで雪だるまを作っていました。
雪は回りを真っ白にして
我が家の景色もイイ感じです。
また、雪が積もらないかなぁ~

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明けましておめでとうございます。


昨年は、お世話になりました、


今年もどうぞ、宜しくお願い致します。


今年もまた、チャレンジの年にしたいと思っています。


頑張るぞぉ~~~~~~

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