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かっこちゃんが、毎日書いてくれているメルマガ
第517号 宮ぷー こころの架橋ぷろじぇくと
今日の記事に感動しました、抜粋して載せますね。
あるお嬢さんのお母さんからメールをいただきました。お嬢さんが、夏のある日、
お母さんにメルマガの日記を印刷して見せられたのだそうです。その日記は下のよう
な日記でした。夏のモンゴルへの旅のあと書いた日記です。
・・・・・・
私はもうひとつ、旅の間中考えていることがありました。毎日メールをくださる方
に、どうしても、私の思いをお話ししたいと思っていたのです。これまでも、何度も
そう思いながら言いだすことができなかったけれど、旅が終わったらお話ししてみよ
う。自分の思いを伝えてみようと思っていました。
その方には、お嬢さんがいらっしゃって、過失による事故で、今はベッドに寝たき
りになっておられるのだそうです。どうしても、事故を起こされた方を許すことがで
きなくて、もし、事故に遭っていなかったら、今、お嬢さんは、就職もし、結婚もし
ていただろうと思うと、相手が幸せになるのが我慢できないとメールに書いておられ
ました。そして、保険金以外に、毎月必ず同じ日に、同じ時間に、病院に来て、謝る
ことというのを、条件の一つにされたのだそうです。旅から帰ってパソコンをあける
と、その中に、その方からのメールがありました。
「・・・どんなことがあっても、必ずその日のその時間に病院に来るというのが条件
だったのに、今月はどうしても来れないので日を変えて欲しいと加害者から電話があ
りました。そのようなことは許されることじゃないということが、加害者にはわから
ないのです。どんなに大切な予定であろうと、将来に関わることであろうと、加害者
にはそのような未来があって、被害者はただベッドの上で寝ているだけ。せめて月に
一回のその日くらい、どんなことがあっても、償うということができないのかと腹立
たしく、申し出は断りました。私たちには一生幸せなんて来ないのに・・・幸せにな
る方法があったら、教えてほしい。私はいつもそう思っています。・・・」
いただいたのは、旅の間に決めたことを、お話ししたらいいよと誰かがそう言ってい
るようなそんなメールでした。
「私は幸せになる方法、わかります。知っています。相手の方に“もうあなたは充分
つぐなってくださったから、もう私たちのことは忘れて幸せになってくださいね。あ
なたの幸せを祈っていますね”とお話しされること、そのことのように思えてならな
いんです。私はそのことで、きっときっとお二人が幸せになられると信じます。お嬢
さんとお二人、どんなにおつらい日々を送っておられるだろうということ、私、充分
わかっているつもりです。けれど、私は恨んでいる間は、つらくて、幸せには決して
なれないだって、知っています。知っているつもりなんです。メールをいただいてい
るうちに、どんどん大切になったから、私、旅の間中、帰ったらそのことをお話しし
よう。勇気を出してそうしようと思っていました」
書いてからもまだ、迷って、でも、エイっと送信ボタンを押しました。今日一日、
「どんなふうに思われただろうか?怒っておられるだろうか?と何度も考えました。
けれど、すごくうれしいメールをいただいたのです。私うれしくてうれしくて泣きま
した。
・・・
・・・かっこちゃんからのメール。いったいかっこちゃんは何のつもりなんだろう。
何を言ってるのだろう。話にならないと正直思いました。それなのに、私自身、メー
ルを閉じて、娘とテレビを見て、テレビを消して、ふと、相手に電話をかけてみよう
とそんな気持ちになりました。
そして、電話をかけたあと、私自身もわけがわからなくなって、口走っていたので
す。「もういらっしゃらなくてもいいですよ。充分償ってくださったのですから、幸
せになってくださいね。私もあなたの幸せを祈っています」と言いました。おまけに
私は「あなたのご両親も本当に良い方ですから、あなたの幸せを祈っているでしょ
う。長い間ご両親にもあなたにもつらい思いをさせてしまってごめんなさいね」と言
いました。いったい私のどこにそんな優しい言葉があったのか、自分でも驚いていま
す。電話の向こうから嗚咽が聞こえました。私も言葉が続かなくなって、受話器を置
きました。置いたとたんでした。不思議なことに、かっこちゃん、受話器を置いたと
たん何が起きたと思いますか? 今まで感じたことのないような幸せな気持ちにつつ
まれて、胸がいっぱになって、娘を抱きしめて泣きました。
「よかったんだね、これでよかったよね」と言うと、娘が「ママ、よかったね。
ママ、よかったんだよ」と言いました。娘は「もういいよ」とこれまでも何度も言っ
ていました。でも、私は許せなかった。娘は、また「ママ、よかった、本当に」と言
いました。かっこちゃんは、こうなることがわかっていたのですか?見えていたので
すか?テレビを見終わったあの一瞬に何が起きたのか、何か導かれるようにかけてし
まった電話ですが、もし、体の不自由な宮ぷーのところに毎日欠かさずに出かけてい
るかっこちゃんでなかったら、私はこんなこと絶対にしなかったはずです。これか
ら、今日のことを後悔することがあるでしょうか?まだ実はわかりませんが、私が口
から出た「今までごめんなさいね」の言葉はかっこちゃんの言葉でなくて、私の心か
ら出た言葉であるならば、私の中にも実はそんな心が残っていたのでしょう
ね。・・・・
・・・
私も一緒に泣きました。そうですよね。恨んでいては決して幸せになれない。自分が
つらいときに、相手も辛ければいいなんてことあるはずがないですもの。私はお二人
が本当にすごいなあと思います。「ごめんなさいね」とおっしゃっられたこと、私、
本当に尊敬します。今日はそんなうれしいことがありました。
病院に行ったら、宮ぷーは熱がありました。でも、宮ぷーにこの話をしたら、喜ん
でいたよ。よかったねって喜んでくれて、私もうれしくなりました。昨日、おしっこ
にもろもろがまた入っていたので、それで熱が出たのかなあと思いました。熱が下が
りますように、つらいのが、なおりますように。
・・・・・・・
それが夏のある日の日記でした。その日の日記のことについてメールをいただいたの
です。
・・・・・
去年の夏ごろだったと思います。過失の事故のために、娘さんが障害者になり、お母
さんが、相手を許せなかったのに許したという日記の印刷をしたものを、娘が私のと
ころに手紙と一緒に送ってきました。「そろそろお父さんを許してあげてください。
お母さん、恨んでいる間は幸せになれないと私も思います。ずっとそのことをお母さ
んに伝えたかった。けれど、毎日読んでいるかっこちゃんの日記に力をもらって、今
日お母さんに伝えます。どうぞお父さんをもう許してあげてください」
主人は、娘たちがまだ小さいときに他の女のところに行くようになりました。そし
て、時折帰って来ては、また他へでかける月日が続きました。仕事と嘘をついて出か
ける主人に愛想をつかして、私は子供たちと家を出ました。私はそれから、女手ひと
つで子供たちを育てました。主人は他の女の人とは、しばらくして、縁を切ったよう
で、何度も戻ってくるように私のところへ電話をよこしましたが、私はどうしても主
人を許すことができずに、20年という歳月が経ちました。ところが、去年の春、私は
発病しました。病名は乳癌でした。手術をして、抗がん剤を投与しながら、家にいた
ときに、娘が持ってきたのが、かっこちゃんの日記でした。娘の手紙に、何をいまさ
らという気持ちがありました。けれど、娘に内緒でこっそり日記を登録しました。
懸命にリハビリをされる宮ぷーさんとかっこちゃんの毎日を知るうちに、私が、主人
を恨みに思うことがいつのまにかばかばかしいことのように思えてきました。そんな
ときに、主人から、「どうぞ僕のことを許して下さい。あなたが病気になって、いっ
そうあなたのことを大切に思えます」とはがきが来ました。私は、主人がいなくなっ
たときも、家を出たときも、癌が見つかったときも泣きはしませんでした。けれど、
主人からのはがきを読んだときに、年甲斐もなく大きな声をあげて泣きました。そし
て、「私こそ、長い時間、つらい仕打ちをしてしまったことを許して下さい」とはが
きを書いて投函しました。
かっこちゃん、長々と書きましたが、今年のクリスマスとお正月は主人、娘、息
子、私と4人そろってすごすことができました。かっこちゃんと宮ぷーさんに心から
感謝しています。癌は私の恨みから来たもののような気がしてなりません。もちろん
癌という病気がそれだけではない理由の方もおられます。私の場合はそうであった気
がします。今は癌に感謝しています。私は子供たちが小さい頃は、主人を許すこと
が、私の芯が崩れて、子供を育てられなくなるような気がしていましたが、娘に教え
られて、今の幸せがあります。癌になったことで、おそらくは気弱にもなっていて、
主人の優しさが身にしみたのでしょう。考えれば主人が他の女の人に走ってしまった
のも、私が子供に夢中で、主人に冷たく当たったことが原因だったのに、主人はそん
な私をずっと許し続けてくれていました。主人のことをこれからは大切にしていたい
と思います。お二人のことこれからも応援しています。花より
・・・・・
花さんからのメール、うれしいです。幸せな空気が、私のところにまでやってきて、
私もすごくうれしくなりました。ああよかった。よかったです。ありがとうございま
す。そして、思いました。夏のお母さんと娘さんのできごとが、それだけでは終わら
なくて、こうして、また違うお母さんと娘さんが、「幸せです」っておっしゃること
につながっていく。みんな一つのことはそれだけではないんだなあと思いました。ど
のことにも、神様の計らいがあるのなら、みんなで、ひとつの命をあすへ向かって生
きていられるようなそんな気がしました。明日もみなさんにいいこといっぱいありま
すように。どんなことも、全部いいことにつながっているから大丈夫ですね。
かつこ
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
プロジェクトのページ(こちらでメルマガ登録=プロジェクト参加できます)
http://www005.upp.so-net.ne.jp/kakko/miyapupuro/kokorokakehasi.html
携帯からは空メールを送れば登録できます。a0001012961@mobile.mag2.com
このメルマガは脳幹出血で倒れ、これまでの医学の常識では再起不能と思われていた
宮ぷーの病院での毎日を、親友の山元加津子が綴った日記からその一部を配信してい
ます。紆余曲折があり、今は宮ぷーの願いは自分の経験を通して意思伝達装置のこと
をみんなにお知らせすること。その願いの実現に近づくようにこのメルマガを広める
ことにお力を貸して下さい。お友達に転送お願いします。
詳しいことは、こちらのページをお読みください。
http://ohanashi-daisuki.com/info/story.html
第517号 宮ぷー こころの架橋ぷろじぇくと
今日の記事に感動しました、抜粋して載せますね。
あるお嬢さんのお母さんからメールをいただきました。お嬢さんが、夏のある日、
お母さんにメルマガの日記を印刷して見せられたのだそうです。その日記は下のよう
な日記でした。夏のモンゴルへの旅のあと書いた日記です。
・・・・・・
私はもうひとつ、旅の間中考えていることがありました。毎日メールをくださる方
に、どうしても、私の思いをお話ししたいと思っていたのです。これまでも、何度も
そう思いながら言いだすことができなかったけれど、旅が終わったらお話ししてみよ
う。自分の思いを伝えてみようと思っていました。
その方には、お嬢さんがいらっしゃって、過失による事故で、今はベッドに寝たき
りになっておられるのだそうです。どうしても、事故を起こされた方を許すことがで
きなくて、もし、事故に遭っていなかったら、今、お嬢さんは、就職もし、結婚もし
ていただろうと思うと、相手が幸せになるのが我慢できないとメールに書いておられ
ました。そして、保険金以外に、毎月必ず同じ日に、同じ時間に、病院に来て、謝る
ことというのを、条件の一つにされたのだそうです。旅から帰ってパソコンをあける
と、その中に、その方からのメールがありました。
「・・・どんなことがあっても、必ずその日のその時間に病院に来るというのが条件
だったのに、今月はどうしても来れないので日を変えて欲しいと加害者から電話があ
りました。そのようなことは許されることじゃないということが、加害者にはわから
ないのです。どんなに大切な予定であろうと、将来に関わることであろうと、加害者
にはそのような未来があって、被害者はただベッドの上で寝ているだけ。せめて月に
一回のその日くらい、どんなことがあっても、償うということができないのかと腹立
たしく、申し出は断りました。私たちには一生幸せなんて来ないのに・・・幸せにな
る方法があったら、教えてほしい。私はいつもそう思っています。・・・」
いただいたのは、旅の間に決めたことを、お話ししたらいいよと誰かがそう言ってい
るようなそんなメールでした。
「私は幸せになる方法、わかります。知っています。相手の方に“もうあなたは充分
つぐなってくださったから、もう私たちのことは忘れて幸せになってくださいね。あ
なたの幸せを祈っていますね”とお話しされること、そのことのように思えてならな
いんです。私はそのことで、きっときっとお二人が幸せになられると信じます。お嬢
さんとお二人、どんなにおつらい日々を送っておられるだろうということ、私、充分
わかっているつもりです。けれど、私は恨んでいる間は、つらくて、幸せには決して
なれないだって、知っています。知っているつもりなんです。メールをいただいてい
るうちに、どんどん大切になったから、私、旅の間中、帰ったらそのことをお話しし
よう。勇気を出してそうしようと思っていました」
書いてからもまだ、迷って、でも、エイっと送信ボタンを押しました。今日一日、
「どんなふうに思われただろうか?怒っておられるだろうか?と何度も考えました。
けれど、すごくうれしいメールをいただいたのです。私うれしくてうれしくて泣きま
した。
・・・
・・・かっこちゃんからのメール。いったいかっこちゃんは何のつもりなんだろう。
何を言ってるのだろう。話にならないと正直思いました。それなのに、私自身、メー
ルを閉じて、娘とテレビを見て、テレビを消して、ふと、相手に電話をかけてみよう
とそんな気持ちになりました。
そして、電話をかけたあと、私自身もわけがわからなくなって、口走っていたので
す。「もういらっしゃらなくてもいいですよ。充分償ってくださったのですから、幸
せになってくださいね。私もあなたの幸せを祈っています」と言いました。おまけに
私は「あなたのご両親も本当に良い方ですから、あなたの幸せを祈っているでしょ
う。長い間ご両親にもあなたにもつらい思いをさせてしまってごめんなさいね」と言
いました。いったい私のどこにそんな優しい言葉があったのか、自分でも驚いていま
す。電話の向こうから嗚咽が聞こえました。私も言葉が続かなくなって、受話器を置
きました。置いたとたんでした。不思議なことに、かっこちゃん、受話器を置いたと
たん何が起きたと思いますか? 今まで感じたことのないような幸せな気持ちにつつ
まれて、胸がいっぱになって、娘を抱きしめて泣きました。
「よかったんだね、これでよかったよね」と言うと、娘が「ママ、よかったね。
ママ、よかったんだよ」と言いました。娘は「もういいよ」とこれまでも何度も言っ
ていました。でも、私は許せなかった。娘は、また「ママ、よかった、本当に」と言
いました。かっこちゃんは、こうなることがわかっていたのですか?見えていたので
すか?テレビを見終わったあの一瞬に何が起きたのか、何か導かれるようにかけてし
まった電話ですが、もし、体の不自由な宮ぷーのところに毎日欠かさずに出かけてい
るかっこちゃんでなかったら、私はこんなこと絶対にしなかったはずです。これか
ら、今日のことを後悔することがあるでしょうか?まだ実はわかりませんが、私が口
から出た「今までごめんなさいね」の言葉はかっこちゃんの言葉でなくて、私の心か
ら出た言葉であるならば、私の中にも実はそんな心が残っていたのでしょう
ね。・・・・
・・・
私も一緒に泣きました。そうですよね。恨んでいては決して幸せになれない。自分が
つらいときに、相手も辛ければいいなんてことあるはずがないですもの。私はお二人
が本当にすごいなあと思います。「ごめんなさいね」とおっしゃっられたこと、私、
本当に尊敬します。今日はそんなうれしいことがありました。
病院に行ったら、宮ぷーは熱がありました。でも、宮ぷーにこの話をしたら、喜ん
でいたよ。よかったねって喜んでくれて、私もうれしくなりました。昨日、おしっこ
にもろもろがまた入っていたので、それで熱が出たのかなあと思いました。熱が下が
りますように、つらいのが、なおりますように。
・・・・・・・
それが夏のある日の日記でした。その日の日記のことについてメールをいただいたの
です。
・・・・・
去年の夏ごろだったと思います。過失の事故のために、娘さんが障害者になり、お母
さんが、相手を許せなかったのに許したという日記の印刷をしたものを、娘が私のと
ころに手紙と一緒に送ってきました。「そろそろお父さんを許してあげてください。
お母さん、恨んでいる間は幸せになれないと私も思います。ずっとそのことをお母さ
んに伝えたかった。けれど、毎日読んでいるかっこちゃんの日記に力をもらって、今
日お母さんに伝えます。どうぞお父さんをもう許してあげてください」
主人は、娘たちがまだ小さいときに他の女のところに行くようになりました。そし
て、時折帰って来ては、また他へでかける月日が続きました。仕事と嘘をついて出か
ける主人に愛想をつかして、私は子供たちと家を出ました。私はそれから、女手ひと
つで子供たちを育てました。主人は他の女の人とは、しばらくして、縁を切ったよう
で、何度も戻ってくるように私のところへ電話をよこしましたが、私はどうしても主
人を許すことができずに、20年という歳月が経ちました。ところが、去年の春、私は
発病しました。病名は乳癌でした。手術をして、抗がん剤を投与しながら、家にいた
ときに、娘が持ってきたのが、かっこちゃんの日記でした。娘の手紙に、何をいまさ
らという気持ちがありました。けれど、娘に内緒でこっそり日記を登録しました。
懸命にリハビリをされる宮ぷーさんとかっこちゃんの毎日を知るうちに、私が、主人
を恨みに思うことがいつのまにかばかばかしいことのように思えてきました。そんな
ときに、主人から、「どうぞ僕のことを許して下さい。あなたが病気になって、いっ
そうあなたのことを大切に思えます」とはがきが来ました。私は、主人がいなくなっ
たときも、家を出たときも、癌が見つかったときも泣きはしませんでした。けれど、
主人からのはがきを読んだときに、年甲斐もなく大きな声をあげて泣きました。そし
て、「私こそ、長い時間、つらい仕打ちをしてしまったことを許して下さい」とはが
きを書いて投函しました。
かっこちゃん、長々と書きましたが、今年のクリスマスとお正月は主人、娘、息
子、私と4人そろってすごすことができました。かっこちゃんと宮ぷーさんに心から
感謝しています。癌は私の恨みから来たもののような気がしてなりません。もちろん
癌という病気がそれだけではない理由の方もおられます。私の場合はそうであった気
がします。今は癌に感謝しています。私は子供たちが小さい頃は、主人を許すこと
が、私の芯が崩れて、子供を育てられなくなるような気がしていましたが、娘に教え
られて、今の幸せがあります。癌になったことで、おそらくは気弱にもなっていて、
主人の優しさが身にしみたのでしょう。考えれば主人が他の女の人に走ってしまった
のも、私が子供に夢中で、主人に冷たく当たったことが原因だったのに、主人はそん
な私をずっと許し続けてくれていました。主人のことをこれからは大切にしていたい
と思います。お二人のことこれからも応援しています。花より
・・・・・
花さんからのメール、うれしいです。幸せな空気が、私のところにまでやってきて、
私もすごくうれしくなりました。ああよかった。よかったです。ありがとうございま
す。そして、思いました。夏のお母さんと娘さんのできごとが、それだけでは終わら
なくて、こうして、また違うお母さんと娘さんが、「幸せです」っておっしゃること
につながっていく。みんな一つのことはそれだけではないんだなあと思いました。ど
のことにも、神様の計らいがあるのなら、みんなで、ひとつの命をあすへ向かって生
きていられるようなそんな気がしました。明日もみなさんにいいこといっぱいありま
すように。どんなことも、全部いいことにつながっているから大丈夫ですね。
かつこ
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http://www005.upp.so-net.ne.jp/kakko/miyapupuro/kokorokakehasi.html
携帯からは空メールを送れば登録できます。a0001012961@mobile.mag2.com
このメルマガは脳幹出血で倒れ、これまでの医学の常識では再起不能と思われていた
宮ぷーの病院での毎日を、親友の山元加津子が綴った日記からその一部を配信してい
ます。紆余曲折があり、今は宮ぷーの願いは自分の経験を通して意思伝達装置のこと
をみんなにお知らせすること。その願いの実現に近づくようにこのメルマガを広める
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詳しいことは、こちらのページをお読みください。
http://ohanashi-daisuki.com/info/story.html
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めぐちゃん
いらっしゃいませ~
めぐちゃんのブログに紹介してくれるのね
嬉しいです。 ありがとうございます。
事後報告大歓迎ですぅ~!
>こんばんは。
真也ママのブログを私のブログでも紹介させていただきました。
いいよね?(事後報告~笑)
めぐちゃんのブログに紹介してくれるのね
嬉しいです。 ありがとうございます。
事後報告大歓迎ですぅ~!
>こんばんは。
真也ママのブログを私のブログでも紹介させていただきました。
いいよね?(事後報告~笑)
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