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この言葉は、

私の仲間のお父さんが言ってくれてます。

九州・大分にお住まいで、
さくら親児会デイサービスセンター」の施設長さんでもあり、
大分支援学校のPTA会長もされている、後藤覚さんです。
後藤さんもかっこちゃんのファンです。

前月末に、私の住んでる徳島に来て下さって、
我が校で、「出来る人が、出来る時に、出来る事を楽しくやろう!!継続は力なり」
と言う題の研修でそれを座談会と言う形で行って下さいました。

後藤さんには、我が家の長男真也と同い年の娘さんがおられます。
この子も、支援学校に在籍しています。後藤さんは、娘さんが入学してすぐに、
子どもの将来を考えて、地域で幸せに暮らせるようにと、
デイサービスセンターの立ち上げを7年掛けて作り上げました。
そのノウハウを遠く、この徳島まで来て教えて下さいました。

演題に有るように、
「出来る人が、出来る時に、出来る事を楽しくやろう!!継続は力なり」

そうです、「出来る事をやろう!」
私達の出来る事・・・
それは何か?

それを見つけて行動を起す。

これが大事だと思います。
誰かに言われてするのではなく
自分で見つけて行動する

しかも、「楽しくです!」

真也ママがしている「おはなし広報大使」の事
これは、私が心からしたい活動です。
次男(和也)の様に言葉が無くて、
自分の気持ちを伝えられない・・・

親として、この子の気持ちを知りたいし、
和也も伝えたいだろう。

何か方法はないかと、

いつも探していました。
そして、やっと見つかった・・・

かっこちゃんが作ってくれた「おはなしノート」のホームページ
感動しながら、コピー、ラミネートして
和也の意思伝達方法の強力なアイテムになりました。

63b48362.jpeg







左は小さいバージョンです。
1e401bd4.jpeg







この、「おはなしノート」
全国に広まり活躍して欲しいです!
そのお手伝いが出来る事が本当に嬉しいです。


私は今月末に九州・大分の後藤さんの所へ
ファミリーでお邪魔する事になりました。

そこでは、絵の大好きな真也の作品展をする事になりました。
また、私もそこで、お話をして欲しいと言われてますので、
「おはなしノート」の使い方についてお伝えしたいと思います。

まさに、

出来る人が、

出来る時に、

出来る事を

楽しくやろう!!

継続は力なり


この活動は本当に楽しいです。
楽しいから続けられるんです!

「継続は力なり」
そして、この力は、
どんどん広まるのです


「おはなしノート」のホームページ

おはなしノートの表紙も新しく出来ています。
    ↓
http://ohanashi-daisuki.com/talk/note/index.html




さくら親児会デイサービスセンター」の施設長さんでもあり、
大分支援学校のPTA会長もされている、後藤覚さんのブログ
             ↓
http://sakuraoyajikai.junglekouen.com/e362652.html



拍手[2回]

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行ってきましたぁ~
徳島県海部郡美波町の日和佐総合体育館

とっても良いお天気に恵まれて、
発達障害児(者)と親とサポーターの会
あおぞら主催のイベントに、
たくさんの家族連れの方が集まってくれました。

真也ママは10時45分から15分の時間を頂いて、
かっこちゃんが作ってくれたおはなし大好きの
「おはなしノート」について、
会場に来てくれた皆さんにお話する事が出来ました。

0f2cfd09.jpeg





おはなし広報大使の名札を付けて頑張りました。

d919adf2.jpeg







おはなしノートの使い方説明の時
次男(和也)が登場・・・
と言うハプニング~(笑)

ca9bb092.jpeg







発達障害の支援グッツの展示場にも
「おはなしノート」のパネルを展示しました。
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そして、
「満月をきれいと僕は言えるぞ」
(三五館)1500円税別 
宮田俊也・山元加津子著の本もしっかり宣伝~

そして、このイベントの為に
おはなしノートのイラストをされている
西山欣子(きんこさん)さんが
大きなパネルを前日に貸して下さいました。
きんこさん、ありがとうございました。
7b75c10b.jpeg






おはなしノートダウンロードはこちら
       ↓
http://ohanashi-daisuki.com/

イベントの帰りには、
きんこさんの個展会場へお邪魔しました。
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「きんこ・イラストとコトバ展」会場では、
きんこさんの仕事仲間の方やきんこさんの生徒さん
そして真也ママと真也と妹ちゃんです。

きんこさんのブログはこちら
       ↓
http://artclub2.exblog.jp/

今日はとっても充実した日を送れました。
そして、発達障害児(者)と親とサポーターの会
あおぞらの方が,次回も「おはなしノート」の話をして欲しいと
言ってくれました。またイベントに参加させて頂きます。
ありがとうございました。







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以前、私のブログで紹介させて頂いた
コクーンのゆうこさんと娘さんのユニット
Co906(こころ)さんの歌の中に「宮ぷーの歌」が有ります。
この歌を初めて聞いた時、涙が止まりませんでした。
          ↓
http://sinyano1.blog.shinobi.jp/Entry/36/


今日、
かっこちゃんのメルマガにも「宮ぷーの歌」が紹介されていました。

>今日もとてもとてもうれしい日になりました。
宮ぷーの歌を歌っておられるCo906(こころ)の
お二人がマネージャーさんの雨宮さんと、
そして映画を撮ってくださってるやすこちゃんと
一緒に宮ぷーのところへ来てくださったのです。

Co906のゆうこちゃんは、
コクーンさんのゆうこちゃんと同じ方です。
御嬢さんの心音ちゃんと一緒に親子DuoでCo906さんとしても
活動されているのです。コクーンさんのゆうこちゃんと
ゆりちゃんとはずっと前からの仲良しです。
私が作詞した詩に、
ゆうこちゃんが曲をつけてくださって、
それを心音ちゃんが歌ってくださっています。

ゆうこちゃんは、たった一晩でわきあがるように曲が
できたのよと言いました。ゆうこちゃんと心音ちゃんと
雨宮さんが到着したとき、私も靖子ちゃんと病院の玄関に
到着したときでした。車から降ろされたのは、
ものすごく大きな長い四角くて黒いものでした。

それは、なんと舞台でも使われる大きな重いキーボードでした。
エレベーターに載るのかな?ベッドが載るから載るかなあと
思うくらい大きいのです。東京から、
キーボードの椅子と一緒に持ってきてくださったのです。
それだけで、泣きそうになりました。

病室に運び込むと、雨宮さんが、
組み立てを始めてくださいました。
宮ぷーも「遠くからきてくれてありがとう」と挨拶をして、
ベッドの横に座って聞きたいと言いました。
ゆうこちゃんがキーボードを弾いてくれて、
心音ちゃんが最初に歌ってくれたのは、
ゆうこちゃんが、小さいももちゃんに作った
ハッピーバスディの曲でした。

ゆうこちゃんはひかるくんというお子さんを
まだ赤ちゃんのときに、脳幹の出血によって
亡くされています。看病のために、
心音ちゃんにもさびしい思いをさせてしまったと
感じているゆうこちゃん。けれど、
心音ちゃんがいたから生きていける。
あなたがいたから生きていけるというそんな素敵な曲です。

そしてそのあとに歌ってくださったのが、
宮ぷーの歌でした。涙が自然と流れてとまらなくて、
宮ぷーも泣いていました。ゆうこちゃんも泣いていました。
そして心音ちゃんも・・・。
一生懸命歌ってくださる心音ちゃんの声にも、
ゆうこちゃんの演奏にも、感動したし、

私がこの曲を作ったときのことを思い出して、
また泣けました。ゆうこちゃんがつけてくださったのは、
明るくて元気なメロディ。

でも、しっとりとした広がりのあるメロディでもあり、
一度聞くと忘れられないのです。
宮ぷーはいつも「ほら わらっているよ」で泣きます。
どうして?と聞くと「そこがすきだから」と言うことでした。

そして新しい歌も歌ってくださいました。
宮ぷーは「かんどうした」と言いました。
「ありがとう」って首もさげていました。どんなにうれしかったかは、
すごくよくわかりました。本当に遠いところを
たった一人の観客宮ぷーのために来てくださってありがとう。

靖子ちゃんも遠いところをありがとう。
本当にそのことを思うと、また、
なんて幸せなんだろうと胸が熱くなります。
宮ぷーは昨日、
「いきているとうれしいことがいっぱいあるね」と言いました。
今日もまたそれを思ったことでしょう。

みなさん、宮ぷーにそんなふうに思わせてくださって、
本当にありがとうございます。
さあ、また頑張っていこうと思える今日でした。


ユーチューブに「宮ぷーの歌」が挿入されています。
 




「宮ぷーの歌」        
 作詩:山元加津子 作曲:佐々木裕子


ありがとう ごめんね 
短い言葉に思いの丈をこめる

何を信じていいのか わからない夜も 
あなたが祈ってくれたら 前へすすめる

誰を信じていいのか わからない朝も 
あなたがいてくれたら 前へすすめる 
眠れない夜を何度もすごして 
もう二度と笑うことなんてないと思ったのに 
折れた心は いつのまにか 
羽ばたき出して ほら、私たち笑っているよ 

※息をすること そんなことさえ 
つらいと思える日にも 
今日という日を懸命に生きること 
それが必ず明日へつながる

 
逃げ出してしまいたいと思うような時も
あなたがいてくれるなら がんばれる
消えてしまいたいなと思うような瞬間(とき)も 

あなたが思ってくれたら 
生きていける 明けない夜は決してない
 
私はもう二度と迷わない 
時を味方につけたから 
折れた心は いつのまにか 
羽ばたき出して
 
ほら、私たち笑っているよ
ここにいること そんなことさえ 
つらいと思える日にも 
今日という日を懸命に生
きること それが必ず明日へつながる 

(※くりかえし)ありがとう ごめんね 短
い言葉に思いの丈をこめて歌おう
・・・・・

そして、ハッピーバスディの曲(HAPPY HAPPY BIRTHDAY)
はこちら
        ↓

2010/11/5 せんかわ劇場で行われた 
親子ユニット 心音さんと 裕子さんのグループ 
CO906 (こころ) コンサートの模様。 
HAPPY HAPPY BIRTHDAY・ カレーライス・ 
かっこちゃんの 宮ぷーの歌や ・
星空 絵本など すばらしい曲がありますよ
 [放送] スピリチュアルTV [協力]
CO906オフィシャルサイト http://co906.web.fc2.com/ 









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1月30~31日(月)
大分県のさくら親児会の後藤さんが徳島に来てくれました。

この人は、「さくら親児会デイサービスセンター」の施設長さんでもあり、大分支援学校のPTA会長もしています。

私は、全国特別支援学校知的障害教育校PTA連合会の全国大会や全知Pの総会などて、さくら親児会の後藤さんにお会いする機会が有りました。

PTAの会長をしながら施設運営をパワフルにされてるお話を伺いこの素晴らしい後藤さんの話を徳島の仲間にも伝えたくて是非来て欲しいとお願いしていました。

まず、初日は徳島の阿波おどり会館で
阿波踊りを楽しんで貰いました。

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一般の人も参加できるので、
さくら親児会の後藤さんと
真也ママファミリーも参加して踊りました。
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楽しかったですぅ\(⌒▽⌒)/

そして、夜は我が校の新年会をしました。
さくら親児会の後藤さんや次の日に参加して下さる
パネラーの徳島のNPO法人わたぼうしの理事さんもお招きして和やかに、
そして熱くこれからの想いを語りあいました。
外は-2度で久しぶりの雪が降る寒い徳島でしたが、
この会場は真剣に生きる親達の思いで真夏の様に熱かったです。


次の日の1月31日(月)に我が校で、
PTA会長でもある
さくら親児会の後藤さんが、
「出来る人が、出来る時に、出来る事を楽しくやろう!!継続は力なり」と言う演題を座談会と言う形での研修会を開きました。

この研修会には、徳島の阿波市育成会の会長さん・徳島のNPO法人わたぼうしの理事さん・徳島県ことばを育む親の会の会長さんなどのゲストもお迎えし、保護者も参加しての座談会です。

そして、司会は真也ママが引き受ける事になりました。

この研修会では、まず、さくら親児会の後藤さんが施設作りのきっかけを話してくださり、施設運営についてのノウハウも教えてくれました。

とても参考になる素晴らしい話で、施設作りは親の熱い思いと、場所、そして支えてくれる仲間が集まれば、親の願う素晴らしい施設作りは実現可能なんだなと改めて実感しました。

また、参加して下さったパネラーの方々とも徳島の障がい児問題や福祉について熱く語りあいました。さくら親児会の後藤さんが来て下さった事によりみんなの意識が凄く高まりました。
1時間30分は瞬く間に過ぎてしまいもっと話し合いたい時間よとまれ~~~でした。 ホンとに素晴らしい会となりました。

私達も今度、大分県の方にお邪魔する予定です。
徳島県と大分県が繋がりました。そしてこの繋がりは日本全国へと繋がって行く事でしょう。仲間って素晴らしいです。

帰りの車の中でも、さくら親児会の後藤さんと色々お話が出来ました。障がい児を持つ親同士、話は尽きないです。
そして、宮ぷーとかっこちゃんの話も出てきました。さくら親児会の後藤さんもかっこちゃんの事をブログに書いてくれてます。
       

さくら親児会 障がい児の親とサポータの集まり
      ↓
http://sakuraoyajikai.junglekouen.com/e348079.html

そして、今回の事もブログに書いてくれています。
        ↓
http://sakuraoyajikai.junglekouen.com/e362652.html
 

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「こうちゃん学校をやすみたい 」
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このおはなしは、
出来の良い兄と比較されて落ち込む主人公が、
次第に自分の価値に気付き立ち直っていきます。
セルフエスティームを形成する方法、
自分に自信を持つためのノウハウを
小学校低学年の児童にも分かるように、
具体的に紹介しています。            

※この本は現在重版未定の本ですので、書店で購入することができません。
うもれてしまうのが残念なので紙芝居にしてみました。





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「こうちゃんと お兄さんて、ぜんぜん にてないんだね。」
  1時間目が はじまる まえ、 となりの せきの
くみちゃんが、そんなふうに いいました。
 こうちゃんは、なんて へんじを していいのか、
わかりません。
「そうさ。たしかに お兄ちゃんは、できが いい。
 ぼくみたいな だめな 子とは ぜんぜん ちがうよ。」
 そんなふうに いえば いいのでしょうか。

  けさ、こうちゃんの  お兄ちゃんの かずやくんは、
全校じどうの まえで、校長先生から しょうじょうを
うけとりました。
 市の 読書感想文の コンクールで ゆうしゅう賞を
とって、それが ちょうれいで しょうかいされたのでした。 
お兄ちゃんは、本を 読むのが 大すきです。
 文を 書くのも じょうずです。まえに、
作文コンクールで しょうを とった ことも あります。
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日よう日。きょうは、お母さんと あかりちゃんが、
びょういんから 帰ってくる 日です。
  お父さんが 車で むかえに いきました。
 こうちゃんは、お兄ちゃんと いっしょに、家で
まっています。
「ただいまー!」
 お母さんです。あかりちゃんを だいています。
 こうちゃんは うれしくて、お母さんに かけよります。
「お帰りなさ……。」
「かずや、お父さんから きいたわよ。感想文コンクールで、
 ゆうしゅう賞を とったんだってね。おめでとう!」
 お母さんは、お兄ちゃんのほうを むいて、
うれしそうに ほほえみました。
 お兄ちゃんは、お母さんに ほめられたので、ちょっと  
てれくさそうに、頭を かいています。
「あばばばば!」
 お父さんは、あかりちゃんをあやしています。
だれも、こうちゃんのほうを 見ていません。



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「こうちゃんは よく朝、「ゴホッ、ゴホッ。」と
からぜきを しました。
「頭が いたいよ。」
と、いってみました。
「まあ、かぜかしら。」
 お母さんは、しんぱい顔です。
「ねつは ないわね。でも、ひどくなると いけないから、
 きょうは 学校を やすむ?」
 こうちゃんは、うんと うなずいて、ベッドに
もぐりこみました。これで、きょうは、お母さんを
どくせんできそうです。
 こうちゃんは うれしくなります。
 ふとんを 頭から かぶり、お母さんに
見えないように、うふふ と わらいます。
 でも、つぎの お母さんの ことばで、こうちゃんの
ふとんの なかの えがおは、すーっと きえました。
「こうちゃん、きょうは なるべく、おへやから
 でないでね。小さい あかりちゃんに、かぜが
 うつったら、たいへんだから。」
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お母さんは、あかりちゃんの せわを しながら、
こうちゃんの めんどうも、きちんと みてくれました。
「こうちゃん、今、あかりちゃんの ミルクの 時間が
 おわったから、おじやを つくってあげるわね。」
「こうちゃん、今、あかりちゃんが おひるねした
 ところなの。アイスクリームでも 食べる?
 もってきて あげようか。」
 でも、一番は、どうしたって あかりちゃんなのです。
「まえに ぼくが かぜを ひいた ときに くらべると、
 お母さんの やさしさは、ぜったい 少なくなって
 いる。」
  こうちゃんは、そんなふうに かんじました。
「もっと、もっと……やさしくしてほしいんだ。」
 こうちゃんは、つぎの 日も、そのつぎの 日も……
なん日も 学校を やすみました。
「おかしいわ。ほんとに かぜなのかしら?」
 お母さんは、おいしゃさんに こうちゃんを
つれていきました。
「どこも わるくないですよ。」
 おいしゃさんは、そう いいました。


  
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つぎの 朝、お母さんは、ベッドのところまで
いって、こうちゃんをおこしました。
「こうちゃん、かぜは なおってるみたいよ。きょうから、
 学校に いこうね。」
 こうちゃんは、だまったまま おきて、だまったまま
きがえて、だまったまま 朝食を 食べて、
だまったまま ランドセルを せおいます。
 げんかんの ところで、お母さんは あかりちゃんを
だいたまま、お父さんと お兄ちゃんと こうちゃんを、
見おくります。 
「いってらっしゃーい。ほら、あかりちゃんも、
 『行ってらっしゃい』を しようね。」
 お母さんは あかりちゃんの 手を とって、
いっしょに ひらひらと よこに ふります。
 お父さんが、あかりちゃんに 話しかけます。
「おりこうだねー、あかりちゃん。かわいいねー、
 あかりちゃん。」
 ずっと だまったままだった こうちゃんは、
がまんできなくなって さけびました。
「どうせ ぼくなんか、ばかだし、かわいくないよ!」  


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大声で なきだした こうちゃんを 見て、お父さんも
お兄ちゃんも びっくりしましたが、うしろを
ふりかえりながらも、会社と 学校に むかいました。
 お母さんは、あかりちゃんを ベビーベッドに ねかせ、
こうちゃんと まっすぐ むきあいました。
「こうちゃん、あかりちゃんが 生まれてから、お母さん
 いそがしくて、こうちゃんの 話、ゆっくり きく
 ひま なかった。ごめんね。」
 
「……ぼく、ぼく、お兄ちゃんには かなわない。
 お兄ちゃんは、頭も いいし、かっこいい。
 学校じゅうの 人気ものなんだ。」
 こうちゃんは、ひっく ひっくと、しゃくりあげています。
「ぼく、ぼく、生まれたばかりの あかりちゃんにも
 かなわない。お母さんも お父さんも、あかりちゃんの
 ほうばっか 見てる。ぼくの ことなんか どうでも
 いいんだ。しかたないよね。ぼくは、できが わるいし、
 かわいくも ない。いい とこなんか、ひとつも ない!」 


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お母さんは こうちゃんを、
ふわりと だきしめました。
「こうちゃんには、いい ところが いっぱい あるじゃ
 ない。もっと じしんを もっていいのよ。こうちゃんは、 
とっても やさしいわ。まえに お母さんが かぜを
 ひいた とき、氷まくらを なんども かえてくれたよね。 
レモネードを つくってくれたよね。」
「だって、それは、ぼくが かぜの とき、お母さんが
 そうしてくれたから。まねしただけだよ。」
「まくらもとで、パンダの 絵を かいてくれたよね。」
「お母さんが、『なんか かいて。』って いったからだよ。」
「うん。お母さんね、こうちゃんの かく 絵、大すきなの。」
 お母さんに だかれて、こうちゃんの 心は、
だんだん だんだん あたたまっていきます。
「ねえ、かずやにも、こうじにも、あかちゃんの ときが
 あったのよ。お父さんは、毎日『アババババ。』って
 いってたわ。3人とも、かけがえの ない だいじな
 だいじな いのちなの。わかってね、こうちゃん。」
 お母さんの うでの なかで、お母さんの ひとみの
なかに ちゃんと うつっている 自分を 見て、
こうちゃんの 心は、とても やすらかに なりました。


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つぎの 日から こうちゃんは、学校に いきました。
  3時間目は 図工の 時間。先生が こう いいます。
「きょうは、自分が すきな ものや、だいじに
 思っている ものの 絵を かいてみてね。」
「おれ、機動戦士ガックンの プラモの 絵、かこうっと。」
「わたしは、うちで かってる うさぎの ラビコの 絵。」
 こうちゃんは、ちょっと 考えてから、1まいの
絵を かきはじめました。お母さんが あかりちゃんを
だいている ところです。きのうの お母さんの 話を
思いだしながら、心を こめて かきました。

 かきあがった 絵の あかりちゃんは、もちろん
あかりちゃんですが、それは、ちょっと お兄ちゃんにも
にていたし、こうちゃんじしんにも にていました。
「まあ、あたたかくて いい 絵ね。」
 先生は、こうちゃんの 絵を、コンクールに だしても
いいかな、と ききました。
 3か月後。こうちゃんは、全校じどうの まえで、
ちょっと きんちょうした 顔で たっていました。
 こうちゃんの 絵は、絵画コンクールで 銀賞を
もらい、それが ちょうれいで しょうかいされたのでした。
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「こうちゃん、やったね。すごーい!」
 クラスメイトの くみちゃんが、ほめてくれます。
「う、うん。でも、たまたまだよ。いつも しょうを
 とっている お兄ちゃんとは ぜんぜん ちがう。」
「顔も ほんとに にてないね。それって、いいよね。
 あたしね、おねえちゃんと 『よく にてる。』って
 いつも いわれるの。あまり いい 気分しないんだ。
 もちろん、おねえちゃんの ことは 大すきだけど。
 あたしは、あたあしだから。あたしじしんを
 見てよ、って かんじ。」
 ああ、くみちゃんは、まえの ときも、そういう いみで
いってたのか。それを、ぼくは、かってに ひがんで……。
 こうちゃんは、ひがんだ 自分が、ちょっと
はずかしくなりました。……ちがうから おもしろいし、
ちがうから すてきなんだな。
「こうちゃん、あの絵の あかちゃん、妹だって?」
「うん、あかりって いうんだ。かわいいんだぜー!」
 こうちゃんは 思いました。きょう 帰ったら、
まっさきに、この絵を あかりに 見せてやるんだ。
 こうちゃんの 絵の タイトルは、『たからもの』です。
 
                                        (おわり)

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かっこちゃんが、毎日書いてくれているメルマガ

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第517号 宮ぷー こころの架橋ぷろじぇくと

今日の記事に感動しました、抜粋して載せますね。



あるお嬢さんのお母さんからメールをいただきました。お嬢さんが、夏のある日、
お母さんにメルマガの日記を印刷して見せられたのだそうです。その日記は下のよう
な日記でした。夏のモンゴルへの旅のあと書いた日記です。
・・・・・・
私はもうひとつ、旅の間中考えていることがありました。毎日メールをくださる方
に、どうしても、私の思いをお話ししたいと思っていたのです。これまでも、何度も
そう思いながら言いだすことができなかったけれど、旅が終わったらお話ししてみよ
う。自分の思いを伝えてみようと思っていました。

 その方には、お嬢さんがいらっしゃって、過失による事故で、今はベッドに寝たき
りになっておられるのだそうです。どうしても、事故を起こされた方を許すことがで
きなくて、もし、事故に遭っていなかったら、今、お嬢さんは、就職もし、結婚もし
ていただろうと思うと、相手が幸せになるのが我慢できないとメールに書いておられ
ました。そして、保険金以外に、毎月必ず同じ日に、同じ時間に、病院に来て、謝る
ことというのを、条件の一つにされたのだそうです。旅から帰ってパソコンをあける
と、その中に、その方からのメールがありました。

「・・・どんなことがあっても、必ずその日のその時間に病院に来るというのが条件
だったのに、今月はどうしても来れないので日を変えて欲しいと加害者から電話があ
りました。そのようなことは許されることじゃないということが、加害者にはわから
ないのです。どんなに大切な予定であろうと、将来に関わることであろうと、加害者
にはそのような未来があって、被害者はただベッドの上で寝ているだけ。せめて月に
一回のその日くらい、どんなことがあっても、償うということができないのかと腹立
たしく、申し出は断りました。私たちには一生幸せなんて来ないのに・・・幸せにな
る方法があったら、教えてほしい。私はいつもそう思っています。・・・」
いただいたのは、旅の間に決めたことを、お話ししたらいいよと誰かがそう言ってい
るようなそんなメールでした。

「私は幸せになる方法、わかります。知っています。相手の方に“もうあなたは充分
つぐなってくださったから、もう私たちのことは忘れて幸せになってくださいね。あ
なたの幸せを祈っていますね”とお話しされること、そのことのように思えてならな
いんです。私はそのことで、きっときっとお二人が幸せになられると信じます。お嬢
さんとお二人、どんなにおつらい日々を送っておられるだろうということ、私、充分
わかっているつもりです。けれど、私は恨んでいる間は、つらくて、幸せには決して
なれないだって、知っています。知っているつもりなんです。メールをいただいてい
るうちに、どんどん大切になったから、私、旅の間中、帰ったらそのことをお話しし
よう。勇気を出してそうしようと思っていました」

書いてからもまだ、迷って、でも、エイっと送信ボタンを押しました。今日一日、
「どんなふうに思われただろうか?怒っておられるだろうか?と何度も考えました。
けれど、すごくうれしいメールをいただいたのです。私うれしくてうれしくて泣きま
した。
・・・
・・・かっこちゃんからのメール。いったいかっこちゃんは何のつもりなんだろう。
何を言ってるのだろう。話にならないと正直思いました。それなのに、私自身、メー
ルを閉じて、娘とテレビを見て、テレビを消して、ふと、相手に電話をかけてみよう
とそんな気持ちになりました。

そして、電話をかけたあと、私自身もわけがわからなくなって、口走っていたので
す。「もういらっしゃらなくてもいいですよ。充分償ってくださったのですから、幸
せになってくださいね。私もあなたの幸せを祈っています」と言いました。おまけに
私は「あなたのご両親も本当に良い方ですから、あなたの幸せを祈っているでしょ
う。長い間ご両親にもあなたにもつらい思いをさせてしまってごめんなさいね」と言
いました。いったい私のどこにそんな優しい言葉があったのか、自分でも驚いていま
す。電話の向こうから嗚咽が聞こえました。私も言葉が続かなくなって、受話器を置
きました。置いたとたんでした。不思議なことに、かっこちゃん、受話器を置いたと
たん何が起きたと思いますか? 今まで感じたことのないような幸せな気持ちにつつ
まれて、胸がいっぱになって、娘を抱きしめて泣きました。

「よかったんだね、これでよかったよね」と言うと、娘が「ママ、よかったね。
ママ、よかったんだよ」と言いました。娘は「もういいよ」とこれまでも何度も言っ
ていました。でも、私は許せなかった。娘は、また「ママ、よかった、本当に」と言
いました。かっこちゃんは、こうなることがわかっていたのですか?見えていたので
すか?テレビを見終わったあの一瞬に何が起きたのか、何か導かれるようにかけてし
まった電話ですが、もし、体の不自由な宮ぷーのところに毎日欠かさずに出かけてい
るかっこちゃんでなかったら、私はこんなこと絶対にしなかったはずです。これか
ら、今日のことを後悔することがあるでしょうか?まだ実はわかりませんが、私が口
から出た「今までごめんなさいね」の言葉はかっこちゃんの言葉でなくて、私の心か
ら出た言葉であるならば、私の中にも実はそんな心が残っていたのでしょう
ね。・・・・
・・・

私も一緒に泣きました。そうですよね。恨んでいては決して幸せになれない。自分が
つらいときに、相手も辛ければいいなんてことあるはずがないですもの。私はお二人
が本当にすごいなあと思います。「ごめんなさいね」とおっしゃっられたこと、私、
本当に尊敬します。今日はそんなうれしいことがありました。
 病院に行ったら、宮ぷーは熱がありました。でも、宮ぷーにこの話をしたら、喜ん
でいたよ。よかったねって喜んでくれて、私もうれしくなりました。昨日、おしっこ
にもろもろがまた入っていたので、それで熱が出たのかなあと思いました。熱が下が
りますように、つらいのが、なおりますように。
・・・・・・・

それが夏のある日の日記でした。その日の日記のことについてメールをいただいたの
です。
・・・・・
去年の夏ごろだったと思います。過失の事故のために、娘さんが障害者になり、お母
さんが、相手を許せなかったのに許したという日記の印刷をしたものを、娘が私のと
ころに手紙と一緒に送ってきました。「そろそろお父さんを許してあげてください。
お母さん、恨んでいる間は幸せになれないと私も思います。ずっとそのことをお母さ
んに伝えたかった。けれど、毎日読んでいるかっこちゃんの日記に力をもらって、今
日お母さんに伝えます。どうぞお父さんをもう許してあげてください」

 主人は、娘たちがまだ小さいときに他の女のところに行くようになりました。そし
て、時折帰って来ては、また他へでかける月日が続きました。仕事と嘘をついて出か
ける主人に愛想をつかして、私は子供たちと家を出ました。私はそれから、女手ひと
つで子供たちを育てました。主人は他の女の人とは、しばらくして、縁を切ったよう
で、何度も戻ってくるように私のところへ電話をよこしましたが、私はどうしても主
人を許すことができずに、20年という歳月が経ちました。ところが、去年の春、私は
発病しました。病名は乳癌でした。手術をして、抗がん剤を投与しながら、家にいた
ときに、娘が持ってきたのが、かっこちゃんの日記でした。娘の手紙に、何をいまさ
らという気持ちがありました。けれど、娘に内緒でこっそり日記を登録しました。

懸命にリハビリをされる宮ぷーさんとかっこちゃんの毎日を知るうちに、私が、主人
を恨みに思うことがいつのまにかばかばかしいことのように思えてきました。そんな
ときに、主人から、「どうぞ僕のことを許して下さい。あなたが病気になって、いっ
そうあなたのことを大切に思えます」とはがきが来ました。私は、主人がいなくなっ
たときも、家を出たときも、癌が見つかったときも泣きはしませんでした。けれど、
主人からのはがきを読んだときに、年甲斐もなく大きな声をあげて泣きました。そし
て、「私こそ、長い時間、つらい仕打ちをしてしまったことを許して下さい」とはが
きを書いて投函しました。

 かっこちゃん、長々と書きましたが、今年のクリスマスとお正月は主人、娘、息
子、私と4人そろってすごすことができました。かっこちゃんと宮ぷーさんに心から
感謝しています。癌は私の恨みから来たもののような気がしてなりません。もちろん
癌という病気がそれだけではない理由の方もおられます。私の場合はそうであった気
がします。今は癌に感謝しています。私は子供たちが小さい頃は、主人を許すこと
が、私の芯が崩れて、子供を育てられなくなるような気がしていましたが、娘に教え
られて、今の幸せがあります。癌になったことで、おそらくは気弱にもなっていて、
主人の優しさが身にしみたのでしょう。考えれば主人が他の女の人に走ってしまった
のも、私が子供に夢中で、主人に冷たく当たったことが原因だったのに、主人はそん
な私をずっと許し続けてくれていました。主人のことをこれからは大切にしていたい
と思います。お二人のことこれからも応援しています。花より
・・・・・

花さんからのメール、うれしいです。幸せな空気が、私のところにまでやってきて、
私もすごくうれしくなりました。ああよかった。よかったです。ありがとうございま
す。そして、思いました。夏のお母さんと娘さんのできごとが、それだけでは終わら
なくて、こうして、また違うお母さんと娘さんが、「幸せです」っておっしゃること
につながっていく。みんな一つのことはそれだけではないんだなあと思いました。ど
のことにも、神様の計らいがあるのなら、みんなで、ひとつの命をあすへ向かって生
きていられるようなそんな気がしました。明日もみなさんにいいこといっぱいありま
すように。どんなことも、全部いいことにつながっているから大丈夫ですね。

かつこ

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
プロジェクトのページ(こちらでメルマガ登録=プロジェクト参加できます)
http://www005.upp.so-net.ne.jp/kakko/miyapupuro/kokorokakehasi.html
携帯からは空メールを送れば登録できます。a0001012961@mobile.mag2.com
このメルマガは脳幹出血で倒れ、これまでの医学の常識では再起不能と思われていた
宮ぷーの病院での毎日を、親友の山元加津子が綴った日記からその一部を配信してい
ます。紆余曲折があり、今は宮ぷーの願いは自分の経験を通して意思伝達装置のこと
をみんなにお知らせすること。その願いの実現に近づくようにこのメルマガを広める
ことにお力を貸して下さい。お友達に転送お願いします。
詳しいことは、こちらのページをお読みください。
http://ohanashi-daisuki.com/info/story.html


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あけましておまでとうございます。

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徳島の初日の出
アスタムランド
風車の丘にて撮影
2011年1月1日

今年もどうぞ宜しくお願い致します。

 
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輝かしい新年をお迎えの事と
お慶び申し上げます。

みなさまの益々のご活躍と
ご健康をお祈りいたします。

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「満月をきれいと僕は言えるぞ」
(三五館)1500円税別 
宮田俊也・山元加津子著が
発売になりました。

 

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今から25年程前の話ですが、

私の母は40代から血圧が高くなり、上が180~200位ありました。
病院にも掛かっていて、血圧を下げる薬も飲んでいましたが・・・
この薬を飲むと、とても気分が悪くなるので飲むのを止めてしまっていたそうです。

そして、母が49歳の時、
夕方、私が食事の用意をしていると、
妹から電話が掛かって来ました。
「お母さんが、分からなくなって救急車で運ばれた!早く病院に来て!」と
何が何だか分からないまま急いで病院へ行きました。

病院に着くと、妹が居たので「お母さんは?」と聞くと下を向いたまま黙っています。
そして、父や姉や兄にも問いかけたのに誰も話してくれません・・・
困っていると、父の妹(おばさん)が、母の状態を話してくれました。

「お母さんは、頭の真ん中の血管が裂けて危篤状態で今、手術をしている。」

「え?・・・何・・何で?」・・・
妹の方を見るとわんわん泣き出しました。

そうです、病院に来てすぐに母の状態を話してもらおうと思って
妹達に話かけましたが、母の状態を医師から聞きレントゲンを見ていた
妹達は、私にその事を告げるのが辛かったのです。

それが分かった私も、わんわん泣いてしまいました。

そして、手術も終わり病室に運ばれて来た母の姿は頭に2本の管が付いていました。
医師の説明では、「もう手の施しようが無いので、頭の中に溜まった血を抜く事しか出来ません。
お母さんは後、一週間の命でしょう・・・・・会わせたい人がいたら呼んであげて下さい。」

あぁ・・・なんと悲しい告知でしょう。
この時、私は20代でした。
後、一週間で母が亡くなってしまう・・・
夢ならさめて、お母さん、お母さんと何度も呼びました。
でも、母は目を閉じたままでした。

私たちは、病院に寝泊りして交代で母に寄り添っていました。
親戚の人や母の友達も見舞いに来てくれました。
母の妹達は、毎日やってきて奇跡が起きないかとお祈りもしてくれました。
私も必死になって奇跡が起きるように祈りました。
そして、意識の無い母の手をにぎったり、話し掛けたりしました。

何の反応も無い母でしたが、6日目に手をにぎった時
ぎゅうっと、にぎり返してくれたので、
兄妹に「お母さんが手を、にぎってくれた。」と言うと、
無意識で手が動いただけだとみんなに言われました。

そして、悲しい事に、
医師の宣告通りたった一週間でこの世を去ってしまいました。
まだ、49歳・・・子育ても終わり、やっと生活も楽になり
これから父と第二の人生が始まる予定の母でした。
まだまだ、やりたい事も有ったでしょう・・・

脳幹出血で倒れてから、誰とも話す事もなく逝ってしまった母
悲しくて、悔しくて本当に辛かったです。

あれから、25年・・・・不思議なめぐり合わせですね、
今、私は同じ脳幹出血で倒れた「宮ぷー」さんを応援しています。

そして、1つ気付いた事があります。
母は49歳でこの世を去ってしまいましたが・・・
同じ病気の「宮ぷー」さんが、奇跡的に回復されて頑張っておられるブログ
「宮ぷー レッツチャットで、今日もおはなし」を読んで思ったのです。
 http://ameblo.jp/miyapu-ohanashi/

母は意識不明のまま一週間の命でしたが、
亡くなる前日に私の手をぎゅうっと握ってくれました。

その時は、無意識で手が動いただけだとみんなに言われましたが、
「宮ぷー」さんのブログを読んでいて、
やはり母は意識が有って私の手を握ってくれたのかも知れないと思うと・・・
悲しいけど、最後の握手が出来たんだなと思えました。

今までは、考えられなかったけどそんな風に思える事がとても嬉しいです。

私の次男(中2)は重い自閉症なので言葉がまだ話せませんが
宮ぷーさんが色々な意思の伝達方法を使っている姿を見て
我が子にも可能性がいっぱい有ると希望も持てました。

本当に「宮ぷー」さんやかっこちゃんの存在を知って良かったです。
これからも、お二人で夢をかなえていってください。
私も「 おはなし広報大使」としてお手伝いさせて頂きます。

「満月をきれいと僕は言えるぞ」の本は本当に素晴らしい本です!

勇気や希望が湧いてきます。

真実の本だからこそ心に響きます。

私は涙なくしては読めませんでした。

もう号泣です。

一人でも多くの人に読んでもらいたいです。

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お友達が、私のブログを見て自分のブログ(さくら親児会)にも
「満月をきれいと僕は言えるぞ」の記事を書いてくださいました。

その記事に凄く感動したので、ここに載せます。

ここからです。

この事は障がい児の子育てだけでなく、高齢者の親を持つ人や
自分自身に事故が起こった時に役立つじゃーないかとおもいました、

みなさ~ん! 
身内でもないのに自分自身が倒れた時にこれほど親身になって、
また再起を信じて意識の無い人間を介抱してくれる人がいますか ^_^;

いや~さすが「かっこちゃん」何故かこの先生の周りには、
奇跡が沢山起こります「かっこちゃん」に超能力があるのか、否!
私が思うのに、この先生程真剣に親以上にかかわった児童に
真剣に取り組む人は見た事も聞いた事もありません、

ホントに、
子ども達のどの言葉もどんなに小さな仕草も注意深く見聞きし、
真剣に理解仕様とする姿は、ほんと見習わなければいけません
だから、子ども達は「かっこちゃん」を好きになり、自分がもってる
全ての引き出しを見せてくれる様になります・・・・
これなんですね~ (^-^)

是非日本国中に「かっこちゃん」と
「四分の一の奇跡」他etc 広めなくてはなりません 
そして、障がい児を育てる親・障がい児教育に携わる全ての人には、
必ず知ってもらい、理解してもらわなくてはなりません、
ほんと必ずですっ!!

又、この事は、私が17年前に
神戸で受講したドーマン研究所の脳障がい児をもつ
親のコースでのG・ドーマン博士の授業でも博士が言ってました

「体が何の反応もして無くても、脳の意識は必ず反応する、
だから生きてる限りは医者がなんと言おうとも刺激を与え続けなさい、
それは・・一般人が異常と思える様な大きな音と、
刺激的な匂い、皮膚刺激でなくては駄目です!
親・愛する人は、医者から、なんとわれようと、
生きてる限りは与え続けましょう・・・・・」

なぜなら・・・・!!
「親こそ最良の医師」なのですから・・・・・」と いや~ホントでしたー!!

さくら親児会さんのブログはこちらhttp://sakuraoyajikai.junglekouen.com/e348079.html


とても、力強い内容を書いてくれていました。
読んでいて、私は感動して泣いちゃいました。

クリスマス 携帯バージョン
可愛いのでここにアップ

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携帯用の画像お友達にも紹介してね。



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うれしいお知らせが有ります!

今日、徳島県庁へ、
演劇「カッコちゃんと素敵な仲間たち!詩と歌と踊りの2010年夏」
のかっこちゃん役の片山ゆう子さんのご主人と
「おはなしノート」のイラストを描かれた、
きんこ(西山欣子)さんのお二人が、
「お話しノート」の事を宣伝して下さいます。

おはなしノートのダウンロードはこちら
          ↓
http://ohanashi-daisuki.com/talk/note/index.html



おはなしだいすきのページを作られた方のご紹介
          ↓
http://ohanashi-daisuki.com/info/member.html


これで、また徳島全域に「おはなしノート」が広まりますね!
素晴らしい事です~


きんこさんとは、12月11日(土)の午前中に
きんこさんの個展会場に家族でお邪魔しました。

6f68e009.jpeg





和也ときんこさんと真也



7176dadc.jpeg





きんこさんと私

きんこさんのイラストはこちら
 ↓
http://www.kinko2.jp/



そして、会場で
おはなし広報大使のお仕事中に
武市りえさんにお会いできました。
りえさんも「おはなしノート」のイラストを描かれています。


8b36d120.jpeg





りえさんと私

りえさんのイラストはこちら
   ↓
http://rie-takeichi.com/





そして、素晴らしい劇団「夢層」の

演劇「カッコちゃんと素敵な仲間たち!詩と歌と踊りの2010年夏」
           





いい言葉みつけた。

「人の命は短いものだ。
不正になじんで、
お金をたくさん持った人は、
人の痛みと
悲しみと
喜びの区別がつかなくなることが多い
不正で得た蓄財は軽く、
感謝がない分、
割れガメから水が少しづつ漏れるように
漏れていく」

「生き金とは、
自分や自分の家族のためだけでなく、
また、
自分たちの快のために使うのではなく、
他の人々のよろこびのため、
弱き人々のために使うお金をいう。
それは、
また冬の日に居心地の良い陽だまりに人が集まるように帰ってくる。」



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